ゴルフは自分を支えてくれたもの :関西スーパーシニア選手権を連覇した足立さん

宝塚ゴルフ倶楽部・足立眞司さん(87歳)インタビュー

関西ゴルフ連盟(KGU)が、80歳以上のゴルファーに競技ゴルフを楽しみ、味わってもらうため、関西スーパーシニアトーナメントを創設したのが2017年。その第1回、翌年の第2回を連覇した宝塚ゴルフ倶楽部の足立眞司さんは、87歳の今も、基本的に毎週、ゴルフを楽しんでいる。

――足立さんは、第1回関西スーパーシニアトーナメントで優勝するまで、関西ゴルフ連盟(KGU)主催の試合にほとんど出ておられませんでした。出場を決めた理由を教えてください。

足立さん  友人から誘われたからです。実は、大会が開かれることも知りませんでした。最初は出る気持ちはありませんでしたが、ホームグラウンドである宝塚ゴルフ倶楽部で開催されると聞いて、それなら一度、出てみようか、ということになりました。

当時は、まだ歯科医院を開業していまして、平日は休みにくいこともあって、KGU主催競技などにはしばらく出ていませんでした。30歳代の時に、関西アマチュアゴルフ選手権に何年か続けて出たくらいです。でも、決勝競技までは行けても、最終日までは進めない程度の腕前でした。当時は、最初の2日間の成績でふるいにかけられ、最後の3日目に進んだ人が一日2ラウンドをして頂点を競う方式でした。3日目には進めないだろうということで、2日だけ診療所を休んで出場していました。それ以上、休んだら、患者さんを困らせることになります。

――関西アマの予選を突破されていたくらいですから、相当の実力だったのですね。ゴルフは学生時代からプレーされていたのですか。

足立さん  始めたのは30歳、歯科医院を開業してからです。

――ゴルフが上手な方にしては、スタートが遅い気がします。

足立さん  学生時代は、大学歯学部のサッカー部に所属していました。社会人になってからも、何かスポーツをしたいと考えていました。自分で稼げるようになって、どうしようかと思っていた時、学校の先輩がゴルフを教えてくれました。こういう道具があって、穴があるからそこに球を入れるのだよと、一から手ほどきを受けました。

継続は力なり

――そこからわずか数年で、関西アマに出るまでになりました。驚くほどの上達スピードです。

足立さん  ゴルフは楽しかったですね。毎日、昼休みに医院を抜け出し、近くの練習場で50球から100球、打っていました。練習場にクラブを預けておき、自転車で行く。上達は早かったです。始めて1年後、大学の1年先輩がメンバーになっている茨木国際ゴルフ倶楽部に入会し、20いくつかだった最初のハンディキャップから、2年でシングルになりました。やはり「継続は力なり」だと思います。

歯科医院を開設した当初、日曜日だけが休みでした。その後、大阪の大企業である松下電器、今のパナソニックが、他に先駆けて土曜、日曜日休みの週休2日制にしました。「うちも、そうしよ」と思って、土曜日も休みにして、ゴルフをしていました。友人らから「松下並みやな」と言われました。(笑)

――休みの日はすべてゴルフをしていて、奥様は何も言いませんでしたか。

足立さん  私は晩婚で、当時はいわゆる独身貴族という感じでした。33歳の時、診療所を後輩の医師に任せ、インドのカルカッタに軽自動車を運んでおいて、ネパール、イラン、トルコ、ギリシャを通って、フランスのマルセイユまで、2か月かけて走破しました。さらに、2、3年後、今度はフォルクスワーゲンのバンで、ヨーロッパからモロッコに渡り、サハラ砂漠を抜けて、ナイジェリアまで行きました。南アフリカを目指していましたが、体力の限界で、断念しました。

――うらやましいというか、普通の人にはできない体験でしたね。ゴルフの話に戻ります。第1回の関西スーパーシニアトーナメントは、2位に1打差、78での勝利。第2回は、2位に5打差をつけて連覇を果たしています。

足立さん  最初に参加した時は、優勝なんてまったく考えていませんでした。地元のコースなので、10位以内に入ったらラッキーだろう、くらいの気持ちでいました。15番でワンピンくらいの距離から4パットをして、これで優勝は無理だと思いました。16番でバーディーが取れましたが、それでもダメだと思っていました。優勝は信じられない気持ちでしたね。翌年は、とても調子が良かったことを覚えています。

――宝塚ゴルフ倶楽部に入会されたのは、いつですか。

足立さん  宝塚は45歳以上という入会の年齢制限があって、ちょうど45歳の時、友人に誘われて入りました。

――宝塚のシニアチャンピオンになられ、グランドシニアは5連覇されています。これほどの実力者がなぜ、関西シニア選手権や関西ミッドシニア、関西グランドシニアなどの競技に出られなかったのですか。

足立さん  それらの競技は平日開催で、平日は勤務日でしたからね。それに、自分の腕を信用していませんでした。自分の力では(トップクラスの人と競うには)足りないだろうと思っていました。

新型コロナがまん延し、マスクや消毒薬が足らない、様々な感染防止策を取らないといけないなど、ややこしくなって、歯科医は辞めました。83歳の時です。晴れて平日もゴルフができるようになり、週に4日はラウンドしていました。

ただ、2年前に脊柱管狭窄症による坐骨神経痛にかかって、足を引きずりながらプレーをし、それでも週に2回はゴルフをしていました。昨年12月に宝塚のメンバーの医師に手術をしてもらいました。再開したのは、今年2月です。「3か月、ゴルフはダメ」と言われてしまって。担当医が宝塚のメンバーですから、こっそりゴルフ場に行くわけにもいきませんでした。(笑)

坐骨神経痛も治って良かったと思っていたら、今度は右足が帯状疱疹になりました。それで神経をやられて今、足を少し引きずっています。でも、週に1度はラウンドをしていました。ただ、友達と今年の夏は暑いので7、8月はラウンドを休もうと決めました。

あちこち体の故障が出ていますが、「ゴルフは続ける」という思いは常に頭の中にあります。ですから、手術を受けましたし、リハビリの間も「絶対、あそこ(ゴルフ場)に戻るぞ、前と同じように飛ばすぞ」と考えて頑張りました。リハビリは今もやっています。

「ゴルフがあったから」手術を受け、リハビリを頑張る

――足立さんにとって、ゴルフの魅力とはどのような事ですか。

足立さん  友達の存在ですね。気の合う仲間がいなければ、ゴルフは面白くありません。4、5人仲間がいて、市内の練習場に毎日のように集まっています。半分、食事に行き、半分、練習をするような感じです。(笑)

ゴルフは、仕事にしろ、生活にしろ、自分を支えてくれたものと思っています。ゴルフをしたいから、健康でいたいと思ったり、生活や仕事の張りになったりもしました。医学界の一員でしたが、健康診断などにはあまり行きませんでした。そのツケが今、来ているのかもしれませんが、それまで大きな病気もせずに健康でゴルフができていたのはラッキーでした。

病気をしても、ゴルフがなかったら、我慢してそのままだったかもしれません。ゴルフがあったから、一生懸命に治そう、歩こうとしています。宝塚は、基本が歩きですが、高齢などで登録した人はフェアウエイに乗り入れてカートを使うことができます。私は、このシステムを活用させてもらっていますし、活用すべきだと考えています。ずっとゴルフを続けることが何より大事だと思っています。それに、私の年齢になっても元気でゴルフをしたい、と他のメンバーから目標にもされています。「目標なのだから頑張れ」なんて言われたりもします。(笑)

 

取材/文・髙岡和弘(情報シェアリング部会・委員)

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