熟練のゴルファーがパットやショットでその動きができなくなる状態に陥るイップス。他の競技のアスリートにも起こるこの現象について、認知神経科学の切り口で追究するシンポジウムが10月29日、東京大学福武ホールで開かれました。
東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)、帝京大学先端総合研究機構(ACRO)、理化学研究所脳神経科学研究センター(理研CBS)の3者が協力して立ち上げた「脳神経科学アライアンス」の連携の第一歩として開始した「アスリート認知神経科学プログラム」。この度、JGAゴルフと健康部会では本研究に協力する運びとなりました。そのキックオフ・イベントとなったシンポジウムには、研究者やゴルフ関係者ら160人が参加。第1部で、3者を代表する研究者がそれぞれのアプローチで、研究分野について講演した後、第2部では、「プロゴルファーとイップス」をテーマに、大江香織プロと中島和也プロ(JGAゴルフと健康部会長)が対談しました。東京大学WPI-IRCNの主任研究者で准教授の渡部喬光先生が進行役を務めた対談の内容を紹介します。
――ゴルフ歴と最初にイップスが出始めたころのことをお聞かせください。
中島 ゴルフは2歳からです。記憶はないのですが、父や兄の後を歩くのと同じようにゴルフをしていました。中学1年生から試合に出るようになって、(クラブを)どう握るのか、振るのかということを理屈ではなく体で覚えてしまっている状態でした。ジュニアのころは人前で打つのが大好きでした。プロになって試合に出るようになって、ジャンボさん(尾崎将司さん)や青木功さんとも回るようになって、それまでやったことのないような練習量をするようになりました。結果、手首をけがして、スイングのタイミングがずれ始めた。何とかしてやろうと感覚や感性で振るのではなく、頭で、そう、色々と考え振るようになっていった。それまで歩くのと同じように行っていたスイングを考え、感じ過ぎいろいろ取り入れました。その結果、時折思いもしない、受け入れられないほどのショットが出るようになり、出る頻度が上がり、不安から恐怖になっていった。それが、イップスの始まりだったかなと思います。
大江 7歳ぐらいからゴルフを始めました。母と毎日練習場に行って。私の場合はパターのイップスです。アマチュアの日本代表になったときに、恥じないようにと、パターの練習に取り組んで、考え過ぎちゃって、それから結果もかみ合わないようになった。それが続いてくると、自分の打ち方がわからなくなった。試合のときに1番ホールで(イップスが)出ないときは大丈夫。次の週に、最初のホールのパットで「アレっ」という感じが出てしまうみたいに波がありました。
――中島さんは(イップスを)克服しようとしてどんなことを。
中島 技術的なことはもちろん、メンタルトレーニングにも取り組みましたね。出ないようにするために技術や理論でかぶせようとしました。何とか(イップス)が出ないようにしたいと、練習で身に着けて、またコースで試してみる、その繰り返しでした。
――文献によっては、プロゴルファーの40%から60%がイップスを体験しているとあります。周りでも悩んでいる人はいますか。
中島 いますね。入口に立っている人はかなりいます。うまく回避してイップスにならない人もいるようですね。最近は若い人に増えてきているようですが。
大江 最初は自覚していませんでした。練習やればよくなるだろうと思っていた。でも1メートルぐらいを外して、明らかにおかしいと悩むようになりました。クラブを変えてみようと、長尺パターを構えてみるとスムーズに手が動いて。そのときに「私イップスだったんだ」と気づいて。
中島 きょうはプロゴルファーも来てくれていますが、長いパターを使っている人もいます。長いクラブのほうが大きな筋肉を使うので、細かい筋肉を使いづらくなるので余計な動きがなくなるのではないかと思うのですが。
大江 長尺パターにして右手は自由な感じで、肩だけを動かす。手先の感覚が出にくいので。それがイップスに効いたのかなと思います。
――アスリートが(決まった手順の)ルーティンを大切にするのは、緊張しないとかの効果があるのですか。
中島 ルーティンはイップスにならないためではなく、スポーツにとって必要な前触れですね。
――余計なことを考えないように、まずルーティンがある。
中島 イップスのときというのは、そのルーティンが崩れるのです。同じようにやろうしても、何らかが作用して動かなくなる。本人はやっているつもりでも、(その人のことを)よく見ている人からすると、何かが抜けていたり、余計な動きが入ってきたり、またリズムがとても早くなっていたりする。
――(イップスは)怒ったら治るというのは。
中島 25歳からですからイップスとは30年以上の付き合い。何とかしたい!どうしたら良いのだ!と、それでもどうにもならなくて、こんなこと絶対にやってはいけないことですが、感情を抑えられずクラブに八つ当たり何本も折りました…。イップスの恐怖より怒りが勝っているとイップスはでない!でも、ゴルフというゲームでは怒りの感情は他に悪影響を与えてしまうことが多いので、その怒りという感情を多用することはできない。
――いまでも(イップスは)出ますか。
中島 出るときもあるし、出ないときもある。
大江 長尺を握ると出る感覚は少ないです。
――イップスの発作が起きているときの状況とはどんなものですか。
中島 成功体験、失敗体験とある中で、イップスのときの受け入れがたい感覚や結果を予測してしまう。メンタルトレーニングのときに、イップスの出るときのことを客観的に映像化してみなさい、と言われたのですが、そこにはブロックがかかってしまってできないんです。
――大江さんも思考が止まってしまうようなことがありましたか。
大江 私の場合はパットですが、成功体験もあるのに、悪いイメージがでるときはまったく入る気がしない。怖くてしかたない状態になっているんです。
中島 追い詰められた感じで、強い気持ちで練習するためにいろんなことをしたのですが、それによってまた自分が苦しむようなことになる。
――大江さんの場合にも自己嫌悪に陥ってしまうことはありましたか
大江 グリーンに乗ってパターを持った瞬間に動悸がして呼吸も浅くなって、その体験も含めて自己嫌悪になることもありました。
――同業者の中にはイップスにならない人もいると思いますが、それは性格的なことからなのか、どうでしょうか。
中島 それはあるとは思います。どちらかというと感覚的にやってきたプレーヤーのほうが(イップスに)なりやすいのではないかと思います。最初に身に着けた構えや姿というのはそのプレーヤーにとって大切なものだし、そこを触ってしまうと、イップスになる可能性が上がっていってしまうのでは。そこは大切にして触らないことが大事なことだと。
――大江さん、他の競技も含めてイップスにならない方法についてはいかがですか。
大江 悪いことから学ぼうとしないで、良い結果から学ぶようにすることですね。悪い結果を受けて、練習に取り組むことが多いのですが、それが積み重なっていくと、あれをやってもだめ、これをやってもだめみたいなことになる。悪い結果は消してしまって、いいショットのことから、いい結果から学んで積み重ねていけばよいのでは、と思います。
中島 ゴルファーには理論を積み重ねていって安心したいという気持ちがあります。しかし、ゴルフは「静」から「動」へと進む。考えることや理論もあって、脳の部分がどう働くかはわかりませんが、「動」の部分をもっと大事にすればよいのではないかと考えています。
▽対談略歴
中島 和也(プロゴルファー)1963年、群馬県桐生市出身
ジュニア、アマチュア時代には日本代表として活躍。
1987年プロテスト合格。88年プロデビュー戦となる第一不動産カップで優勝。2006年―2019年の間、日本ゴルフツアー機構でツアーディレクターとしてトーナメントを支える側として活躍。2020年よりゴルフ場経営に就く。
大江 香織(プロゴルファー)1990年、山形県出身
アマチュア時代には東北アマチュア、東北ジュニア選手権に優勝。世界アマチュア女子日本代表に選出。18歳のとき、イップスに悩み、長尺パターを使い始める。2009年プロ入り、11年初シード。12年ツアー初優勝。16年ツアー2勝目。18年3勝目。19年ツアーから引退。現在はゴルフトーナメント解説やレッスンで活躍している。
東京大WPI-IRCN・帝京大ACRO・理研CBS 脳神経科学アライアンス設立シンポジウム 「挑めアスリート脳の宇宙に 認知神経科学による新たな挑戦」開催
開催日時:2024年10月29日(火)13:00-17:20
会場:東京大学福武ホール(本郷キャンパス)
共催:東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)、帝京大学先端総合研究機構(ACRO)、理化学研究所脳神経科学研究センター(理研CBS)
後援:日本ゴルフ協会
講演
『小鳥の歌制御と聴覚フィードバック』
岡ノ谷一夫
帝京大学先端総合研究機構(ACRO)
複雑系認知研究部門 教授
『獲得した技能の保持・発展を支える脳の仕組み』
柴田和久
理化学研究所脳神経科学研究センター(理研CBS)
人間認知・学習研究チーム チームリーダー
『神経科学的な対イップス戦略』
渡部喬光
東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)
主任研究者・准教授
特別講演
『多様化する学生意識へのアプローチ』
岩出雅之
帝京大学スポーツ局局長
スポーツ医科学センター副センター長・教授
ラグビー部元監督
写真提供:東京大WPI-IRCN・帝京大ACRO・理研CBS
取材/構成・古谷隆昭(情報シェアリング部会・委員)