武蔵カントリークラブ(埼玉県)のメンバーとして、ゴルフライフを楽しんでいる杉山沖四郎さんは、大正14年(1925年)生まれ、今年6月で満100歳を迎えた。32歳のときに始めたゴルフ歴は68年。公式競技で80回以上、プライベートラウンドを含めると200回以上のエイジシュートを達成している杉山さんに、ゴルフと健康、人生について語っていただきました。
――まず、ゴルフとの出会いを教えてください。
私の家は戦時中、東京都内で軍需産業に携わっていたので、5年生の中学を卒業した私は、兄のたっての願いで会社に入りました。しかし、そこが空襲でなくなり、戦後に埼玉県入間市に移って、自転車などのチェーンの会社を始めました。32歳(1957年)のとき、その取引先の商社の社長さんがゴルフに熱心で、「杉山さんは若いから、うちの会社のゴルフ同好会に入って」と勧められ、クラブのハーフセットをプレゼントされたのです。それが右利きのクラブ。私は左利きで、学生時代によくやったテニスや野球、卓球もすべて左。このテニスのバックハンドが両手打ちで、ゴルフのスイングに役立った。練習してみたら何とか打てる。偶然だったのですが、これでやる気が出た。「左効きで右打ちの人はゴルフがうまい人が多い」とおだてられしてね。当時としてはゴルフにすごく早く出会うことができた。
そしたら、その2年後に、ここ武蔵カントリークラブ豊岡コースが開場した。さっそく申し込んで会員にしていただきました。家はここから5分、会社は2分という近さ。ですから練習環境には恵まれました。昼休みにクラブにきて食事をして、ネクタイしたまま練習。「ネクタイ姿の杉山さん」と有名になりました。夏場なんか午後4時ころから涼しくなるので、たっぷり練習できました。

ラウンド前の記念撮影(右から2番目が杉山さん)
――その後のゴルフライフはどうでしたか。
武蔵カントリークラブは開場当時からコースが素晴らしかった。昭和34年の7月で「ノータッチ」でプレーできました。ですから、とても楽しかった。ハンディキャップもシングルになって、最高は「3」までいきました。
よく練習もしました。体は大きくないけど、足腰が強かったから一番飛んだころはドライバーで250ヤードぐらい。関東や日本の試合にもよく出ましたね。1970年からは研修会に入って、そのころは50人ぐらいがいて、毎週、毎週、一緒にやっていました。
もう仕事とゴルフだけだったですね。(笑)クラブライフも楽しくて、ラウンド後によくマージャンなんかもしましたね。ゴルフをやって健康だから、会社の経営も88歳まで続けていました。
――エイジシュートのことをお話しください。
75、6歳のころから達成できるようになって、その後もちょくちょくと出るようになりました。忘れられないのが2012年に茨城ゴルフクラブ東コースで開かれた「全日本エイジシュート選手権決勝大会」のことですね。
全国の予選をクリアしたアマチュア105人とプロ36人が6258ヤードの同条件のもとで、満年齢をパープレーとして18ホールで実施されました。プロの中には陳清波さんや杉本英世さんらがいました。陳さんは79歳で「最近は80をたたくことはめったにないんですよ」と話されていました。この日はグリーンが速いうえにピンポジションがバンカーを越えたこところに切られていました。
すごく好調だった87歳の私は6つのホールでパーオンしてパットは36。何と84でホールアウトして、3アンダーで優勝することができました。陳さんは80。「パターが、、、」と悔しがってました。私にとっては、夢のような優勝でしたね。
――ゴルフと健康についてお話しください。
よく長生きの秘訣はと聞かれます。NHKのテレビ番組でお医者さんが話していたことなのですが、100歳以上の100人にアンケート調査したところ、長生きの一番の要因は、運動とかいろいろある中で「コミュニケーション」だったそうです。人とのコミュニケーションをとっていること。話をしたり一緒に何かをしたり。その点、ゴルフは仲のよい4人が一緒にプレーして、体を動かして、お互いの良いショットを褒め合ったりしてコミュニケーションがある。運動しながらこれができる舞台が整っているのがゴルフですよね。ハンディキャップがあるから何歳になっても一緒にやれる。

多く方が百寿記念パーティーに参加された
――今年がちょうど昭和100年、杉山さんの人生とぴたり重なっています。
人生もゴルフも山あり谷ありですね。私の仕事も戦後のインフレや大不況の頃はとても苦しかった。何とか切り抜けたら、朝鮮戦争による好景気がやってきた。国内でダメになったときは、アメリカに行って支社を作り輸出の販路を広げました。
妻は昨年94歳で亡くなりましたが、子供2人孫5人、ひ孫が7人がいます。みんなそれぞれの分野で活躍してくれてます。
ゴルファーとしての私を育ててくれた武蔵カントリークラブでは、100歳を記念したパーティーと競技をやってくれる。こんなにうれしいことはありません。
ドライバーは最近では150ヤードぐらいになりましたが、その分、多く使うフェアウェ-ウッドでミスが少なくなるように短くもってスコアメイクにつなげてます。もちろんショートゲームとパターもしっかりとやって、まだまだエイジシュートを出していきたいと思っています。

記念パーティーでのバースデーケーキ
協力:武蔵カントリークラブ HP
(情報シェアリング部会委員・古谷隆昭)