子育てが終わったら家にこもってないで外でゴルフをしましょう。太陽を浴びながらプレーすれば心も体も健全になりますよ:樋口久子JGA特別顧問インタビュー

日米通算72勝、世界ゴルフ殿堂入り、文化功労者…日本女子プロゴルフ界のパイオニア

――日本の女性ゴルファーの道を切り開いてきた日本ゴルフ協会(JGA)の樋口久子特別顧問は女子プロテストの一期生で、歴代最多の日米通算72勝を挙げ、日本人として初の世界ゴルフ殿堂や国際女子スポーツ殿堂入り、ゴルフ界初の文化功労者となるなど、その功績は枚挙にいとまがありません。競技を引退後も日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の会長として現在の女子プロツアー人気につなげる礎を築き、今も同協会の顧問としてゴルフ界を引っ張っています。そのような樋口特別顧問から見て、現在の女性とゴルフの関係はどのように映っているのでしょう。

樋口久子特別顧問 昔に比べればゴルフをやりやすい環境になっています。私は1960年代半ばにゴルフを始めましたが、当時の女性でゴルフをプレーするのは社長夫人とか、特別な人という印象でした。私の場合は東急砧ゴルフ場に勤めていた姉の家から高校に通い、休日にゴルフ場に遊びに行っているうちにゴルフの奥深い魅力に取りつかれ、卒業後は中村寅吉先生が社長を務めていた地元の川越カントリークラブに就職したんです。仕事は練習場の管理だったので練習する時間もあり、中村先生も手取り足取りで教えてくれました。女子は私しかいなかったし、とにかく中村先生の言うことを聞いていればいいと思い、一心不乱に練習して体に覚えこませました。それに比べると今の子はネットや雑誌、本など、ゴルフに関する情報はいろいろあり、恵まれていると思います。ただ、情報がありすぎるのも迷いが生じるかな。

ファッションでも先駆者 ママさんゴルファーとしてもブランク乗り越え優勝

――樋口特別顧問はアメリカに舞台を移しても1977年の全米女子プロ選手権を勝ち、米メジャー大会を制した初の日本人選手となりましたが、ファッションでも日本の女子ゴルファーの先駆者でした。

樋口特別顧問 そうですね。女子ゴルファーがまだ少ない時は、男性から「女はプレーが遅いからズボンを履いてやれ」と言われて、日焼け止めも塗らなかったから、見た目には男っぽい選手が多かったんです。ところがアメリカに渡ったらスカートやキュロット、バミューダパンツなどいろいろなものを履いていて、それらをトータルコーディネートしたウェアがショップのウィンドウに飾られている。それらを買い求めて来たり、参考にして日本でウエアを作ってもらったりしました。日本で着てプレーした時は、最初は驚かれましたね。今のウェアは本当にきれい。ただ、スカートは少し短すぎるかも(笑)

――ママさんゴルファーとしても、先駆者の一人でした。

樋口特別顧問 そうですね。森口祐子さんが1980年代半ばに結婚、出産を経てツアーに復帰し、私は87年に42歳で子供を産みました。私は高齢出産ということもあってクラブを握らない日々が2年間も続きました。でもゴルフをやりたいという気持ちがどんどん強くなり、復帰を決めました。試合に出るからには準備万端にして優勝を狙いたいけど、子供が中心の生活では練習もままならない。でも、そんなことを言っていたら、いつ試合に出られるか分からない。だから試合の中で練習をしていくしかないと思って臨みました。森口さんも同じことを言っていたと思います。

――それから2年半後の90年8月、anクイーンズで優勝し、復帰後初勝利。さらにもう1勝重ね出産後2勝、通算72勝を挙げました。

樋口特別顧問 アメリカでは練習ラウンドをしている女子選手のカートを、ご主人が子供を背負って運転してるのを見て、日本もそのようになっていけばいいなという気持ちはありました。出産してゴルフを続けるためには、周囲のサポートが必要不可欠です。家を1週間近く空けるのだから子供の世話をしてくれる人が必要だし、夫の理解も大切。そのようなサポートをしてくれる人には勝つことが一番のお礼だと思い、プレーをしました。

――米女子ツアーには移動託児所などもあって、子供を同伴しながら試合に出られる。日本もそのようになることが望まれています。

樋口特別顧問 確かにそうですが、日本では子供を預かる施設には保母さんが何人必要だとか、行政の壁が高い。しかし、横峯さくら選手のように妊娠中で大きなお腹でも試合で頑張る姿や、子供を産んで試合にカムバックしてくる女性の姿は社会に与えるインパクトも強い。ゴルフはそのような女性の活躍の場を広げることができる素晴らしいスポーツです。

バブル崩壊後のJLPGAで様々な改革 会長として立て直しに奮闘

――その後、97年には現役選手を引退し、JLPGAの会長に就任します。当時の協会は世間のバブル崩壊の影響を受け、スポンサーの撤退や試合数の減少など、ドン底の状況でした。

樋口特別顧問 本当に大変でした。でも、これ以上悪くなるわけがないとも思っていました。私は選手の時もそうですが、悪くなる時は中途半端ではなく、とことん悪くなってドン底まで落ちていけばいいと考えるタイプなんです。そうすれば上に行くしかないし、道は開けてくるのではと。そういう性格です。

――そのような状況で、新会長として最も力を入れたことは。

樋口特別顧問 当時の女子プロゴルフはスター選手も多くいなくて、男子の方が迫力があって人気もあった。その中で女子に目を向けてもらうためには何ができるのかを考えて、やはり大会のプロアマ戦や前夜祭ではないかと思いました。そして選手たちの前で、こう言いました。「試合のために何億円も出してくれているスポンサーは、日ごろ大事にしているお客さんを呼んでプロアマ戦や前夜祭をやっているのだから、そのお客さんが喜んで帰ってくれたら、スポンサーが喜んでいるのと同じ。そうしたら来年の試合にもつながります。試合をやってテレビにも映れば、あの選手はうちの会社のイメージにぴったりだと思ってくれて、契約を結んでくれるかもしれないでしょ」。それからはみんな協力してくれるようになって、評判が悪い選手がいれば注意もしました。

――1995年からプロテストに合格した選手には、新人教育としての講習会も開いています。

樋口特別顧問 高校、大学からプロテストに受かった選手たちは、それまで社会経験もないわけですから、いろいろなことを教えてあげなければいけません。そのようなことの積み重ねで、女子プロゴルフは人気が出るようになったと思います。

――その他にも、米ツアーでの経験が生かされたこともありました。

樋口特別顧問 例えばツアーでの練習環境。アメリカの練習場は芝生から打てるし、チップショットの練習もいろいろな所からグリーンに向かって打つことができました。ところが日本のゴルフ場は大会中でもマットの上からしか打たせてくれないので、芝生の上から打てるようにし、アプローチ練習用にグリーンも開放してもらいました。また、夏場でまだ日が暮れていないのに練習場を早く閉めてしまうゴルフ場が多かったのですが、最終組がホールアウトしてから1時間は練習場を使えるようにしてもらいました。

今でもプレーは週2回 カートに乗らず歩いてトレーニング

――今はJLPGAの会長からも退き、後輩たちを支えながらゴルフに関わっています。今年で78歳ですが、ご自身はどれくらいの頻度でプレーを続けているのでしょうか。

樋口特別顧問 主人や友人たちとのラウンドを中心に週2回ほどプレーしています。ジムにも通っていないので、プレー中はカートには乗らずに歩いて、トレーニングの代わりにしています。大会のプロアマ戦などに招待されれば、下手なゴルフはできないじゃないですか。だから空港などでもエレベーターやエスカレーターは使わず、極力歩くようにしています。

――試合のテレビ解説では、コースの特徴に加えてグリーンの傾斜なども正確に記憶しているので、いつも驚きます。

樋口特別顧問 プロアマ戦に参加している時はラウンドしながら各ホールをチェックしますし、そうでない時は試合前日に下見し、覚えるようにしています。手を抜きたくないのは性格ですね。そのように徹底しないと、気が済まないのです。

――そのような樋口さんが、今後の人生でやりたいことは何でしょう。

樋口特別顧問 1日でも長く、健康でゴルフができればいいと思っています。歳を取ると激しい運動はできないけど、ゴルフはできます。私が行くコースでは、98歳でラウンドしている人もいるんですよ。それほど素晴らしい生涯スポーツなので、女性の方にはぜひ始めてほしいと思います。まず練習場で教室に入るのがお勧めですし、そうすれば友達の輪も広がります。子育てが終わったら、家にこもってないで外でゴルフをしましょう。太陽を浴びながらプレーすれば、心も体も健全になりますよ。私もそのうちカートに乗る日が来るかもしれませんが。

 

構成・鈴木遍理(情報シェアリング部会委員)

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