すい臓がんを克服 早期発見で完治できたのはゴルフを続けていたおかげ―山本敏明さんに聞く
すい臓がんは、早期発見が難しいとされる。元経済産業省の山本敏明さん(75)は、そのような難病を克服し、今では好きなゴルフを再び楽しむ一人だ。このほど「膵臓がんに克つ―毎週ゴルフをしながら乗り越える―」を上梓した山本さんに、闘病の日々と現在の日本ゴルフ界への提言などを聞いた。
「医師を盲信せず、自分の体の声とか実感を大切にすることも重要です」
―著書を読ませていただきました。「沈黙の臓器」と言われるすい臓のがんを、自分の体と向き合って早期発見に結び付け、完治するまでに至ったのは、健康への日頃からの心配りと、こうと決めたらやり抜く強い意志の賜物だと思いました。
山本敏明さん 2024年5月15日にすい臓がんの疑いが強いと言われ、それまで毎週のようにゴルフを楽しんでいた私は人生一巻の終わりと思いました。それから手術をして完治したわけですが、その背景にはゴルフがありました。ゴルフは歩いて体を動かして筋力を強化し、頭も使う。大好きなゴルフを続けてきたことで、日本人の男性の3人に2人、女性の2人に1人が生涯のうちに罹患するというがん、中でも最難治がんのすい臓がんを克服したことを、できれば多くのゴルファーと共有したいと思い、この本を書きました。表紙の写真の花は皇帝ダリアで、その強靭な生命力から不死の植物と見做しています。
―がんがまだ小さいうちに発見できた経緯を教えてください。
山本 すい臓がんは、ほとんどの方が見つかった時はステージ4です。私は57歳の時に糖尿病と診断されてから、1日1万5000歩を自分に課して歩いていました。これによって半年で85キロあった体重が75キロに落ち、インスリンがしっかり分泌されて薬も服用せずに血糖値も正常値になりました。食事も大食いを避け、常にエネルギー消費量を計算してコントロールしていたのです。60代後半からは血糖値を下げる薬も服用するようになりました。しかし70歳を過ぎてHbA1c(血糖状態を示す指標で4.6~6.2%が基準範囲)が7前後になり、短期間で8に近づいた時、すい臓がんを心配しました。それでも医師は心配ないと言うので、合点がいかず思い切って医師を変え、CT(コンピューター断層撮影)検査を依頼しました。24年5月のことです。そこですい臓がんの疑いが強いとなり、大きな病院に移って6月に手術を受けました。
―医者を変えなければ手遅れになっていた可能性もあったわけですね。病気に対する知識もそうですが、ふだんから自分の体と向き合っていて、医師の診断に納得できなければ、とことん追求する。それが今につながっていると。
山本 私の場合は、これだけ運動して食事もカロリー、糖質をコントロールしているのに血糖値が下がるどころか急に上がってきたので、疑問を感じたことが発端でした。医師を盲信せず、自分の体の声とか実感を大切にすることも重要だと思います。また、2022年8月から活動量計を購入し、2024年6月の入院まで、活動カロリー、歩数とか血糖値等を表にまとめ、チェックしていたのも功を奏しました。現在はすい臓がんの手術をした主治医から完治と書いてもいいと言われました。
手術直後から病院の廊下を毎日6000~7000歩 「ゴルフが再びできるかどうかというのは、かなり大事なことでした」
―手術後のリハビリは大変でしたか。
山本 手術から退院までの3週間は、体中に沢山の管がついている点滴棒を持って、病院の廊下を朝、昼、夕に分けて6000~7000歩、毎日歩きました。退院して、自宅で体組成計で測ると体内年齢が58歳(実年齢73歳)でした。
―それほど自分を律して手術も乗り越えられた意志の強さは、どこから来るのでしょうか。
山本 生への執着、ゴルフが大きかったと思います。早期回復はもとより、自分にとってゴルフが再びできるかどうかというのは、かなり大事なことでした。ゴルフが好きで面白いということもありますが、私はすい臓がんが発覚する前から歩くことを続けてきました。ただ、普通に歩くだけというのは意外と辛いんです。それがゴルフでは、電動カートに乗っても、18ホールを回れば少なくとも1万数千歩を労せずして歩くことができます。斜面を上ったり下ったりすることもあるので、筋肉強化にもなる。さらにパターなどで頭も使うし、仲間との交流も楽しい。私が最近作った言葉に「筋歩食(キンポウショク)」というのがあります。筋肉を強化し、歩いて、タンパク質重視の食事をすれば、免疫力がアップし、がんも克服できるという考えです。ゴルフはこのような驚異の力があり、もちろん認知症の予防にもなる。健康寿命を伸ばす上でも素晴らしいスポーツです。
―山本さんのゴルフはかなりの腕前と聞いています。飛ばし屋だとか。
山本 あちこち球がばらけて大したことはないのですが、40歳くらいの時はドライバーで当たれば290ヤードくらい飛んでいました。1990年前後で、メタルヘッドの頃です。1987~90年に通産省(現経済産業省)の外郭機関の代表としてワシントンに駐在した時は、自宅の近くにゴルフ場があり、時々早朝1人でハーフラウンドしてロングホールではよく2オンし、イーグルを取ってました。今はもう全然飛ばず、70歳で当時より60ヤードくらい飛距離が落ちて、75歳の今はさらに30㍎くらい落ちていますよ。
―75歳で200ヤード飛ぶなら立派なのでは。若い時からスポーツをやられていたのですか。
山本 陸上の80メートルハードル、卓球、野球、柔道など、いろんなスポーツが好きで得意でした。ゴルフは32歳からやり始めました。それまでは仕事で余裕がなかったのですが、始めたら面白くなって、はまりました。ベストスコアは58歳の時の74です。今は周囲からエージシュートを狙えると言われますが、70歳を過ぎてからは70台のスコアがなかなか出なくなり、難しいですね。飛距離が落ちているから、アプローチがうまくならないと。でもエージシュートを目標に、最低でも90歳まではゴルフを続けたいと思っています。
「贅沢なスポーツというイメージを拭い去っていけば、少子化が進む日本でも若い人や女性をゴルフに取り込むことにつながっていくと思います」
―経済産業省の元官僚でもある山本さんから見て、今の日本のゴルフ界はどのように映っているのでしょうか。
山本 先ほど言ったようにゴルフは素晴らしいスポーツです。それなのにプレーヤーはゴルフ場利用税を払わなければならず、公務員は利害関係者とのラウンドを割り勘であっても国家公務員倫理規定で禁止されています。これらは、いまだに贅沢なスポーツとして見られているからでしょう。しかしゴルフはスポーツとして優れたものであり、健康寿命も伸ばします。そういった意味ではゴルフ人口を増やす方向に向かうべきで、ゴルフ場利用税や倫理規定で邪魔するようなことはやめてくれと思います。逆行していますよね。
―ワシントンに駐在していた経験から、日米のゴルフ事情の違いはどのように思われますか。
山本 ひとことで言うと、アメリカはゴルファー・ファーストです。基本は電動カート、セルフ、スループレーで、駐車場で車を降りたらその場で着替えてカートに乗って回る。食事も、お腹が空いたらコースの途中に出店しているキッチンカーで食べるなど、気楽ですよね。プレーヤーが中心であり、そのために無駄をそいでいるんです。日本はハーフを終えたら食事の時間をとったり、ゴルフ場によってはキャディーを付けなければいけなかったり、そうなると料金も高くなってしまう。大事なことは、ゴルファー・ファーストの精神で、ゴルファーの好みに合わせた多様な選択肢を用意することです。セルフ、スループレーもその一つです。
―日本も欧米のパブリックコースにならったカジュアルなゴルフ場が出てきていますが、まだ少数ですからね。
山本 昔のような贅沢なスポーツというイメージを拭い去っていけば、少子化が進む日本でも若い人や女性をゴルフに取り込むことにつながっていくと思います。誰もがお金をかけなくても楽しむことができ、生涯スポーツとして健康寿命を伸ばすようになってほしいです。
取材・文/情報シェアリング部会委員・鈴木遍理


