《シリーズ対談》第9回「幸せを感じます」「うまくできたスポーツです」川崎誠治先生・川島眞先生

川崎誠治  社会福祉法人三井記念病院常務理事・院長、学校法人順天堂名誉教授(写真左)
川島眞  医療法人社団ウェルエイジング名誉院長、Dクリニックグループ代表、東京女子医科大学名誉教授、東京薬科大学客員教授(写真右)

鳥羽研二・東京都健康長寿医療センター理事長・日本ゴルフ協会ゴルフ振興本部参与  本日は、お忙しい中、医療現場の第一線で活躍されている川崎誠治・三井記念病院常務理事・院長と、川島眞・医療法人社団ウェルエイジング名誉院長にお出でいただきました。
この企画は、ゴルフが高齢者や女性の健康維持、増進にいかに寄与するかを伝え、さらにゴルフそのものの魅力を広く知っていただくために行っています。
お二人には、仕事のお話をお聞きした後、ゴルフの経験やゴルフの魅力、楽しさを語っていただきたいと思います。大学での学年順ということで、最初に川崎先生からお聞きします。

実は、プライベートなことなのですが、川崎先生には、私の父親が大腸がんになった時、相談に乗っていただいたことがあります。父は、全く健康診断を受けず、生命保険も入っていないような人でした。お風呂に入った時、自分でお腹を触ったら腫瘍がわかったそうです。近所の消化器内科の先生に診ていただいたら、肝臓に大きな転移がありました。当時、肝移植手術もされていた川崎先生にご相談させていただきました。あの時は、本当にお世話になりました。大学時代、川崎先生も私もサッカー部で、私はほとんど役に立たなかったのですが、川崎先生は名ゴールキーパーとして活躍されておられました。
まず、仕事のことをお話いただきます。外科を志された経緯を教えていただけますか。

川崎誠治先生  学生時代、基礎医学や内科学などをきちっと勉強していれば違ったのでしょうけれど、知識がないとシンプルな考えになるものですから、外科で手術の名人になりたいと単純に思いました。

鳥羽理事長  外科の中で、肝臓関係に進まれたのはどうしてですか。

川崎先生  当時、肝臓関係は未開発というか、大腸がんなどの消化器系とは違い、肝臓がんを担当する方はあまりいませんでした。手術をしても相当、結果が悪いことを、研修医時代にたくさん経験しました。それで、未開拓のところがいいのではないかと思いました。

鳥羽理事長  肝臓移植を手掛けるようになったのは、海外留学がきっかけですか。

川崎先生  アメリカの南部、ジョージア州のエモリ―大学に、クリニカルフェロー(専門分野の臨床に従事する職)として行きました。移植についてのクリニカルフェローではなく、門脈圧亢進症(肝硬変などにより、腸から肝臓に向かう静脈の血圧が異常に高くなる病気)に対するシャント術の世界的な権威だった先生に指導を受けるためでした。
そのチームの担当で肝移植も行われていて、肝移植にも関われるようになりました。ジェット機で臓器を受け取り、戻って手術をする。レシピエント(臓器提供を受ける人)の手術そのものの術者にはならなかったですけど、ドナー(臓器を提供する人)の手術、術後管理など様々なことに関わりました。
帰国してしばらくしたら、信州大学の幕内教授(東大の同じ医局出身の先輩)の所で生体肝移植が始まり、そこに呼ばれました。

鳥羽理事長  その後、信州大学に行かれて、肝移植を継続されていましたよね。東京近辺の大学と違うご苦労はありましたか。

川崎先生  いや、当時は信州大学と京都大学が生体肝移植を数多く行っていて、1990年代の終わりの頃は、脳死肝移植も行える施設は信州大学と京都大学だけという時代でした。
ですから、東京などからも結構、患者さんが来てくれて、それなりに症例はありました。180例ほど、信州大学で手術をしました。

東京の順天堂大学に移ってからは、それほどの症例数ではなかったですが、成績(成功率)はよかったです。行ったのはほとんど生体肝移植でした。信州大学の初期に、私は助教授としていましたが、幕内雅敏教授が世界で初めて成功させた大人から大人への生体肝移植に関わっていました。

その時は、ドナーの方の肝臓の左側(左葉)をいただいて移植しました。それで、順天堂に移ってからも、左側にこだわって移植手術をしていました。当時、世界的には右側を取る(ドナーの肝右葉を切除してレシピエントに植える)のが標準になっていました。でも、大きい右側をいただくのは、ドナーの負担を考慮すると適切ではないと考えていました。左側を移植して成績が良かったものですから、海外から手術に呼ばれたり、講演したりもしていました。

鳥羽理事長  肝臓の左側は、右側と比べて体積はだいぶ小さいのですが、機能としては大丈夫なのですね。

川崎先生  大抵はギリギリの大きさと機能です。ですから、術後管理も苦労します。

鳥羽理事長  その後、三井記念病院に移られ、院長としてご苦労も多いと思います。

川崎先生  院長の仕事は、手術に比べたら、はるかに楽ですね。一年前、70歳になって手術で執刀することは辞めました。

鳥羽理事長  マネジメントを行うことが合っておられるのですね。

川崎先生  いや、どうでしょうか。ただ、院長の仕事は、それほど難しいと思いません。ゴルフの方が、手術や病院長の仕事より難しいです。(笑)

鳥羽理事長  ありがとうございました。では、川島先生にお聞きします。川島先生は、東大で私の同級生です。私の成績は下から数えて何番目という程度でしたが、川島先生は、ちゃんと真ん中以上の成績でおられました。成績が優秀なのに、こう言っては失礼ですが、皮膚科を選ばれた理由はどうしてでしょうか。

川島眞先生  私は、眼科医の息子で、どちらかというとマイナーな科に行こうという志向がありました。実は、親と同じ眼科医になるつもりだったのです。ところが、学生最後の頃に、父親が急に亡くなって、兄が継ぐことになりました。
では、どの科に行くかという事になった時、私はゴルフ部にいて、部長が皮膚科の久木田淳教授で、人柄も素晴らしい先生でした。他に行くところがないし、皮膚科で取ってもらえますかと頼んだら、皮膚科の医局長がすぐに飛んできて、「お前、来い」ということになりました。

鳥羽理事長  1977年に宮崎医科大学で皮膚科が開講する時、東大の久木田淳先生が関わられ、その縁で川島先生に連れられて、宮崎カントリークラブ・青島コースを回らせていただいたことがありました。それが、私のコースデビューでした。

川島先生は、東京女子医科大学に移られる前から、皮膚科学の中で、一番のご専門はアレルギー関係でしたか。

川島先生  アトピー性皮膚炎ですね。ライフワークというか、最終的にはそこが研究の中心になりました。ただし、留学は、パリのパスツール研究所に行き、そこではヒト乳頭腫ウイルスと皮膚がんの関係を調べていました。

鳥羽理事長  そのウイルスは、子宮がんの原因になっているのと同じものですか。

川島先生  ヒト乳頭腫ウイルスは、皮膚がんとの関連が先にわかったのですが、医学界の研究のメインは子宮がんとパピローマウイルスやヒト乳頭腫ウイルスとの関連が中心になっていきました。ですから、皮膚がんとの関連は人のがんとウイルスとの関係を見つけるきっかけにはなりましたが、子宮頸がんとヒト乳頭腫ウイルスの関連を見つけた人がノーベル賞を取り、最初にウイルスと人のがん(皮膚がん)との関係を見つけた私のボスは、取れませんでした。

鳥羽理事長  川島先生が東京女子医大に移られてから、美容皮膚科というか皮膚の老化の事で何度も対談をさせていただいたことがありました。美容系の研究を始められたきっかけと、最近の研究の進歩について教えていただけますか。

川島先生  私が、東京女子医大で、少し美容関係の研究を始めたころは、美容というと何かうさん臭いと思われ、確かに、そういう面もあるのですが、大学で美容を研究している所はほとんどありませんでした。

皮膚科は、見た目がかなり激しい病気もあり、重い病気だけを見ていると、何か気が滅入ってくる所もありました。病気というほどではないけれど、このシミを取って欲しいとかイボを取ってくださいと言われて取ってあげると、すごく喜んでもらえます。重い病気ではない人を診て、喜んでいただけるというのは、こちらにとっても、すごくリラックスできる時間でした。診療をしながら、こちらのQOL(生活の質、生命の質)も上がっている。そういう診療もできるなと考えました。ただ、診療、研究のうち、メインではなく、美容が4分の1か5分の1くらいですかね。

鳥羽理事長  本企画では、ゴルフを通した女性の健康維持、増進という事も紹介しています。我々が取り組んでいる老人医療の分野でも、化粧療法と言って、綺麗になると心も元気になるという研究論文がいろいろ出ています。皮膚科の方でも、心身両面での若返りという事に興味を持たれている先生はおられるのでしょうか。

川島先生  今は、顔のシミの除去や、あるいは体形を良くする研究が多いのですが、メンタル面がどれだけ改善されたか、心のQOLがどこまで良くなったかは案外、数値としては発表されていません。今、鳥羽理事長のお話をお聞きして気づきました。患者さんが「ありがとうございます」と喜んでいる顔は知っていますが、美容手術を受ける前と後のメンタルステート(心理状態)の数値を含めた違いは見ていませんね。

鳥羽理事長  我々の分野では、今、そういう化粧療法といったものが話題になっています。例えば、化粧をすることによって心身が若返り、外出する機会が多くなって、人との交流やアクティビティが増えることがわかっています。フレイル(老化により、筋力、活力といった心身が衰え、健康と要介護の間の状態)というような衰えに対して、大きなプラスの効果があるのではと言われています。

川島先生  フレイルというと、何となく身体的な面に頭が行ってしまいますが、精神的な面も見なくていけないでしょうね。

鳥羽理事長  私どもが取り組んでいる老人医学の中で、皮膚科の領域では、最近、スキンフレイルというものがキーワードになってきていると聞いています。年を取ると、皮膚が乾燥して、弾力がなくなっていきます。それを何らかの栄養、化粧、あるいは皮膚療法によって予防し、改善する。それらによって若返りを図ることを皮膚科の先生方が頑張っておられます。

フレイルの状態が、見た目でわかる点が大きいと思います。皮膚を見ればわかるので、歩行速度を計るといった難しい事をしなくても状態の判断がつく。看護師さんたちにも、非常に人気のある講座になっています。ご興味があればぜひ、またご協力をいただければと願っています。

川島先生は、30歳代で教授になられたのですよね、

川島先生  39歳の時です。大学教授職は、26年務めました。

鳥羽理事長  若くしてなられたから、最長ではないですか。

川島先生 ですから、最後の5年間は、あと何日で辞められるって指折り数えていました。(笑)

鳥羽理事長  現在は、どのような病院にお勤めですか。

川島先生  男性の美容をメインにやっている病院に籍は置いています。でも、あまり診察はしていないです。

鳥羽理事長  いえいえ。今は、検索すれば、そうではないことがすぐにわかってしまう時代ですから。(笑)
それでは、お二人にゴルフの事をお聞きしたいと思います。川崎先生は、アメリカ留学中はゴルフをされなかったとのことですが、いつから始められたのですか。

鳥羽研二先生(左)・川崎誠治先生(左から2番目)・川島眞先生(右)

川崎先生  学生時代、遊びでやりました。友人が、学生の時にゴルフ同好会に入っていて、彼と一緒に、遊びで時々、ラウンドしていました。アルバイトでキャディーをして、仕事の後にコースを回ったりもしました。

鳥羽理事長  お仕事が忙しかったので、その後はごく最近まで、それほどゴルフはできなかったのではないですか。

川崎先生  そうですね。アメリカ留学中も、ゴルフコースの脇を通って通勤していたのですけど、とうとう2年間、1回もやりませんでした。
信州大学時代は、私の名前を付けた川崎杯というのが年に2回あって、OBの方などもたくさん来られたのですが、私自身は忙しくて、15回ほどあったうち1回しか出ませんでした。ゴルフ場に向かう途中で呼び出しがあって、引き上げたことも1度、ありました。
東京に戻ってからも、しょっちゅう携帯が鳴るので。そういう状態でしたから、あまりゴルフは数多くはできませんでした。

鳥羽理事長  そうすると、ゴルフがある程度、できるようになったのは、大学を出られてからですか。

川崎先生  そうですね。今は携帯を(ロッカー内に)置いてラウンドできるので、もうすごく気楽です。

鳥羽理事長  最近は、どのくらいの頻度で回られているのですか。また、どういうお仲間とラウンドされるのですか。

川崎先生  この1年くらいは、月に平均で2.5回くらいゴルフをしています。
一緒に回る人は、いろいろです。中学や高校、大学時代の友人もいますし、最近は息子ともちょこちょこ回っています。ですから、いろいろなゴルフ場でプレーしています。

鳥羽理事長  息子さんはお上手ですか。

川崎先生  いや、飛ぶだけで。(笑) 彼も、月に1度程度しかラウンドしませんので。

鳥羽理事長  川崎先生は、これまで、それほどプレーしてこられなかったのに、テンプラボールで200何十ヤードも飛ばされる。(笑)

川崎先生  いや、最近はプレーしていますから。練習にも、わりと熱心に取り組んでいるつもりです。先ほどお話したように、手術よりはるかに難しいのでね。(笑) 後は、院長室でストレッチをたまにするくらいです。

鳥羽理事長  食事などで気をつけられていることはございますか。

川崎先生  あまりありませんが、家内が割と、食事には気を遣ってくれています。

鳥羽理事長  川島先生には、先ほどお話したように、ゴルフの手ほどきを受けました。コースデビューとなった宮崎カントリークラブでハーフを回らせていただいて、90でした。ドライバーをお借りして、確か名器と言われたマグレガーターニーでした。それでマン振りしたら、地球をたたいてヘッドだけが飛んでいきました。弁償はしていませんが、アメリカ留学中にターニーの3番ウッドを手に入れて、川島先生にお返ししました。(笑)
先生は、いつ頃からゴルフをされていたのですか。お父様から教わったのでしょうか。

川島先生  父親はやっていませんでした。私は、大学に入ってすぐゴルフを始めました。まだ、教養学部時代には鉄門クラブ内のゴルフ部(東大医学部・教養学部理科3類のゴルフ部)はできてなく、医学部の2年目か3年目に創部されて入れてもらいました。部と言っても実質、同好会でしたから、本格的に取り組んだという感じではありませんが。

鳥羽理事長  川島先生がキャプテンを務めた時、鉄門クラブはまあまあ強かったのですよね。

川島先生  野島美久君という名手がいましたから。後に群馬大学医学部の教授、病院長になりました。彼は、全学の東大体育会ゴルフ部にも入っていたくらいです。

鳥羽理事長  先生は、有名なプロゴルファーともラウンドをされたそうですね。JLPGAで永久シードを獲得されている森口祐子プロと回り、途中まで勝っていて、森口プロを本気にさせたと聞いています。

川島先生  名古屋での学会の翌日、皮膚科医でゴルフの名手のご主人は来られなかったですが、森口プロとラウンドする機会がありました。1番ホールのパー5で、下りのパットを入れてバーディーを獲りました。森口プロから「おめでとうございます」と祝福されたのですが、2番もパーにしたら、3番ホールからプロの目の色が変わったのです。本気を出した時の森口プロはすごくて、全然、かないませんでした。途中からは、「左足下がりは、どう打つのですか」などと教わりながら、回りました。あの頃は、240とか50ヤード飛んでいましたから、飛距離では森口プロに負けなかったですね。それが今は、パー5で3打目でもアイアンでは届かなかったりする。何なのでしょうね。(笑)

鳥羽理事長  川崎先生が一番、得意なクラブはございますか。

川崎先生  得意なクラブですか? 不得意なクラブなら、すぐ思い浮かびますが。(笑)

鳥羽理事長  海外や国内で印象に残っているコースはございますか。

川崎先生  ハワイに行っても、風がビュンビュン吹いていて、あまりいい思い出はありません。ドイツでもそこの友達とプレーしましたけれど、ラフなんてものではなくて、入ったら球が絶対に見つけられませんでした。
国内では、連れて行ってもらった所では、スリーハンドレッドクラブ(神奈川)が好きですね。いい所は、それなりにいいと感じます。麻倉ゴルフ倶楽部(千葉)もいいなと思いました。

鳥羽理事長  打ちのめされた記憶があるコースはありますか。

川崎先生  小金井カントリー倶楽部(東京)ですかね。都心から近いので、箱庭のようなコースだと思っていましたが、意外と距離がちゃんとありました。それに、マナーとかが厳しいコースですから、緊張しましたね。

鳥羽理事長  川島先生は、いかがですか。印象に残っている国内外のコースを2、3挙げていただけますか。

川島先生  国内だと、南からいくと古賀ゴルフ・クラブ(福岡)ですね。ものすごく難しい。

鳥羽理事長  私も、この企画で、横倉義武・元日本医師会長とラウンドしました。

川島先生  グリーンが小さくて砲台で、両側に深いバンカーがあって。次は、廣野ゴルフ倶楽部(兵庫)ですね。やはりレイアウトが素晴らしい。距離はきっちりとありますし。ティー前のラフがすごく距離があるので、後ろのティーから打つと、キャリーで200ヤードは打たないと、フェアウエーに全然、届きません。
関東ですと、茨城の海辺にある大洗ゴルフ倶楽部ですね。ティーショットは広い所に打てますが、グリーンに近づくとターゲットが絞られていく。本物のゴルフ場とは、こういうものなのだという思いを抱かされました。
北海道では、小樽カントリー倶楽部です。やはり距離があって、いいスコアはまったく出せません。

鳥羽理事長  海外のコースで、印象に残っているコースはありますか。

川島先生  川崎先生と違って、パリに留学中、結構、プレーをしていました。フランスのいいところは、7月15日を過ぎると、みんなバカンスに出かけてしまうので、バカンス期間中はゴルフ場が空いている点です。我々や他の業種の日本人はバカンスに行かずにパリに残っていて、ゴルフをしていました。ベルサイユ宮殿のそばにも素晴らしいゴルフ場があって、市内中心部から車で20分から25分くらいで行けます。36ホールありますが、クラブハウスに着いてからその時に空いているコースを教えてもらって回ります。朝、1ラウンドして、一緒に回った人は用事があって帰ってしまいましたが、待っていると別の友達が来て、午後に1ラウンド。終わって帰ろうとすると、「まだ、午後の4時半だよ」と言われて、もう9ホール、プレーしました。結局、ツーラウンドハーフ、45ホール回りました。しかも手引きカートで歩いてですよ。若かったのですね。当時、34、35歳くらいでした。

鳥羽理事長  すごいですね。私も、研修医時代、夏の炎天下、茨城でだいたい2ラウンドしていましたが。(笑)

川島先生  あの頃のパリは、緯度は札幌より高いし、気温は上がっても28度程度。湿度は低いし、夏でもクーラーはいりません。ゴルフをする環境としては、最高でした。

鳥羽理事長  ありがとうございました。日本ゴルフ協会は、東大と一緒に、イップスの研究を始めています。ご経験はありますか。

川島先生  今日は、パットである程度残ってもOKをもらえましたが、本当はあの距離が一番嫌いなのです。

鳥羽理事長  知っています。(笑)

川島先生  あるベテランのレッスンプロに、「この距離のパットがダメなのです。僕はイップスですかね」と言ったら、「イップスってもっとうまい人がかかるもので、それは単に下手なだけです」と言われました。(笑)

鳥羽理事長  ゴルフをやっていて、心や体に良かった、いいと感じられていることはございますか。

川崎先生  先程も言いましたが、外科医をしている時は、ゴルフ場にいても、携帯で呼び出されるかもしれないということで、心底ゴルフに集中できていませんでした。手術をやめて、呼び出しがなくなったら、回っていてすごく気分がいいものだと思うようになりました。幸せだと感じます。

 

川島先生  これだけの空間を使って遊べるわけですから、こんな贅沢なことはないと思っています。あと、ラッキー、アンラッキーがあって、下手な人がまぐれで入ることもある。うまい人がずっと勝ち続けるわけでもない。本当にうまく作られているゲームだと感じています。

鳥羽理事長  本日は、長い時間、お付き合いいただき、本当にありがとうございました。

 

取材/文・髙岡和弘(情報シェアリング部会・委員)

関連記事

  1. JGA WAG スクール (1Day) 受講生募集のお知らせ! ~栃木県ゴルフ場協議会~

  2. 「百歳合宿」:赤城国際カントリークラブ

  3. 『People』第3回 ゴルフは私たちの生きがい。出会えて本当に良かった:WAGスクール卒業生インタビュー

  4. ~「JGA WAGスクール」受講生募集のお知らせ~:栃木県ゴルフ場協議会

  5. 《シリーズ対談》第7回ゴルフと健康増進 ゴルフは心の栄養 野口五郎さん

  6. 夏季ジュニアゴルフ教室受講生募集のお知らせ:栃木県ゴルフ場協議会

最新のゴルフ振興情報を

メールで
お届け!

今すぐ登録

メール登録

Translate »