陸上長距離界のスター選手として活躍し、マラソン15戦10勝の瀬古利彦さん(67)は、多忙な中でも月3回のラウンドを目標にゴルフライフを楽しんでいる。シューズをランニング用からゴルフ用に替えて「コースの芝を歩いて走り、リラックスしている」という瀬古さんに、ゴルフとの出会い、楽しみ、魅力を語っていただきました。
――ゴルフとの出会いはいつでしたか。
三重県桑名市の実家にいた高校時代に、ゴルフが好きだった父親に「練習場に行かないか」と誘われて近くの打ちっ放しに行きました。中学では野球をやっていたので面白そうだなと思って。家の近くの田んぼで、稲刈りの後の株にボールを置いてアイアンで打ちましたね。飼っていたシェパードが打ったボールをとってきたりしてね。とても楽しい遊びでした。
大学(早稲田)に行って2年生のときかな。帰省したら父親がメンバーだった桑名カントリー倶楽部に連れていってくれました。初めてのラウンドですね。ドライバーは打てないからアイアンだけで回ったら90台のスコアが出て、「俺天才かなと思いました」(笑)
――お父さんは本当にゴルフ好きだったんですね。
鉄工所をやっていて、家の裏にネットを張って練習場所まで作っていましたから。72歳で亡くなったのですが、息子とゴルフをするのが楽しみだったのだと思います。
――本格的にゴルフを始めたのは。
陸上の現役選手を引退してからですね。エスビー食品の陸上部監督にもなって、いろんな人と付き合うことも大事なってきたので、ゴルフを始めることにしました。それまでは陸上仲間ばかりでしたから。ゴルフは違う世界の人とできるのでそれが楽しみでしたね。最初は1年間ぐらいレッスンに通いました。基礎を習わないと、自分が「これでいいんだ」という打ち方がわからないので。それは教えてもらわないと。おかげでスコアは80台ぐらいなりました。
――マラソンを走ることとゴルフに共通点はありますか。
すべて自己完結ということですね。個人競技で言い訳がきかない。人に迷惑をかけないで、良くても悪くても自分の責任。それがマラソンと似ているところですね。そこが好きなところでもあります。
ゴルフでいろんな仲間が増えました。スポーツ以外の人、芸能界の人、企業の社長さんたち。たくさんの人とつながりが広がりました。ゴルフはコミュニケーション作りにてとても役立ちます。年齢や職業、腕前が違っても一緒に楽しむことができますから。
――ゴルフは生涯スポーツとして健康増進にもつながります。
コースに出ると、なるべくカートには乗りません。走ったり歩いたり。せっかくスポーツに来ているんだから、もったいないじゃないですか。よほど暑いとか遅れているとかは別にしてね。いっぱいおいしい空気を吸いたいから。
歩けるうちは続けたいと思っています。ゴルフは健康のバロメーターで、「ゴルフをしたい」と思うときは元気なとき。私の場合「したくない」と思うことはありませんけどね。
ストレスのたまる仕事が続くときなんかは、球を打つことで心の安定につながるし、1週間に1日でもリラックスできます。そしてプレーの後には仲間と食事をしたり、飲んだり。体と心の健康につながります。
――得意クラブとベストスコアを教えてください。
これは日よって違う日替わりですね(笑)。少し前までは52度のウェッジが良くて、ピンにビタビタとついていたのに、最近はダメだったり。ドライバーがいいときはパットが入らなくて、またそれが逆だったり。ゴルフはだから面白いのかもしれません。
ベストスコアは76です。年に2、3度は70台がでます。
――ゴルフでこれからの目標は。
いつの日かエージシュートを達成したいですね。70歳でできるのか。80歳台でできるのか。それまではやめられません。最近は飛距離が落ちて、第2打をなかなかアイアンで打てない。それでもアプローチやパットで何とかパーにしていくのも楽しいんだけど、やっぱり2オンはしたいですよね。
▽瀬古利彦さん略歴
1956年生まれ、三重県桑名市出身。福岡国際マラソン、ボストンマラソンなど内外のマラソンを15戦して10勝。日本の不参加で幻となった1980年モスクワ五輪と、84年ロサンゼルス五輪、88年ソウル五輪を合わせて3度のマラソン日本代表。現役引退後は指導者となり、エスビー食品陸上部監督、早大競走部コーチなどを経て現在はDeNAアスレティックスエリートアドバイザー。日本陸上競技連盟では理事、副会長などを歴任し、昨年6月より評議員。
取材/文・古谷隆昭(情報シェアリング部会委員)