鳥羽 研二 東京都健康長寿医療センター理事長・医学博士・ゴルフ振興推進本部参与
野口 五郎 歌手
鳥羽研二・東京都健康長寿医療センター理事長 この企画では、ゴルフが好きな各界の方をお呼びして、仕事やゴルフとの関わりをお聞きしています。ゲストの皆様のお話を通じて、ゴルフが健康に役に立つことを世間、社会に広く知っていただくために、連載しております。
これまで、お医者さんや実業界の方をお招きしましたが、今回、お出でいただいた野口五郎さんは、私が縁遠い世界というか、初めての芸術家の方で、大変うれしく思っております。
岐阜県の出身とお伺いしましたけれども 岐阜県のどちらですか。
野口五郎さん 美濃市というところです。岐阜市から北に25キロくらいのところにあります。
鳥羽理事長 私は長野県出身で、穂高岳とか立山連峰なども見えるのですが、その反対側になりますね。アルプスなどは見られるのですか。
野口さん いや、高い山は見られません。
鳥羽理事長 以前、野口五郎というお名前は、北アルプスの野口五郎岳と関係があるとお聞きしましたが、どういういきさつでそのお名前が付いたのですか。
野口さん デビューするにあたって、別の名前がほぼ決まっていたのですが、ある雑誌の編集長から「もっといい名前付けてあげる。野口五郎と黒部五郎のどちらがいいか」ときかれました。両方とも、北アルプスにある山の名前ですが、僕にとっては同じ感じで、マネージャーに「どちらでもいい」と答えました。中学3年生、14歳の時ですから、「(恥ずかしくて)友達には言えないな」くらいの受け止め方でした。そして高校1年生、15歳でデビューシングルを出す事が出来ました。
鳥羽理事長 15歳というと、もう50年以上、活躍されているのですね。ヒット曲もたくさんありますが、最初からアイドルのようなキラキラとした歌と踊りで活躍したいと思われていたのでしょうか。
野口さん 当時はアイドルという言葉はなく、スターですよね。スターに憧れて、自分もそういう世界でデビューをしたいというのはありました。
デビュー曲が決まり、これからレコーディングという時、変声期に入ってしまいました。中学2年、13歳で上京してすぐの事です。
僕の師匠である作曲家の米山正夫先生から「変声期だから、少し休んでいなさい」と言われましたが、僕にとっては「クビ」に聞こえてしまいました。米山先生は、「リンゴ追分」「車屋さん」「365歩のマーチ」など、数々の名曲を作曲された方です。
岐阜から出てきたばかりで、今すぐ帰ることはできない。ほかに夢はない。今、振り返ると、13歳で挫折を味わったのだな、と思います。変声期は高い声が出なくなるだけでなく、声をうまくコントロールするのも難しくなります。
でも、先を見るしかないと思い、学校で友達になった人のお兄さんのバンドに入ったり、演歌のレッスンに通ったり、スクールメイツというグループに加わったりと、三つくらいの活動をしていました。それぞれデビューの話がありましたが、演歌を選択することになります。当時、演歌ブームだったこともあり、演歌ならデビューができるという望みがあったのだと思います。
鳥羽理事長 この前、野口さんのコンサートに行かせてもらった時に、今で言うアイドル時代の録音が流れました。新幹線が出す騒音のような歓声、騒ぎの中で歌っておられたので、ビックリしました。
野口さん そういう時代でした。
鳥羽理事長 野口さんから以前、歌手活動の中で、音が持つ力に気付かれたという話をお聞きしましたが、それはどういうことですか。
野口さん 僕は、歌を歌うこと自体に憧れを持っていたので、売れたい、有名になりたいとかではなく、夢はレコードを1枚出すことでした。15歳でデビューして、演歌の「博多みれん」というレコードを出した時に、夢は達成できたのだと思うのです。
その後は、自分の人生をどう頑張るか、ということでした。たまたまポップスを歌うようになって、皆さんに少しずつ認知していただけるようになりました。
よく言うのが、僕はスター歌手の末っ子で、アイドル歌手の長男だということです。ちょうど、時代が揺れ動いていた時でした。アイドルというのは、スカウトされて芸能界に入ってきます。自分は、そのアイドル世代と、師匠に付いて勉強してデビューをするスター世代との狭間(はざま)にいた感じでした。その中で、どうすれば自分の歌が皆さんに届くのだろうかとずっと考えていました。
歌を聴いてもらいたいという思いは、デビューした時から常にありました。売れない時代、年齢を年上に偽って地方のキャバレーを巡業していました。踊り子さんの前歌として歌っていると、「早く引っ込め」と煙草が飛んできます。その中にいても、歌が良ければ、絶対に聞いてもらえると信じていました。
キャーッと騒がれるアイドル時代になっても、(この騒音の中で)どうすれば歌って届くのだろうか、思いが伝わるのだろうかと考えていました。環境が変わっても、歌を聴いてもらうことが、ずっと課題でした。子供の頃を含め、多分、これは僕の永遠の課題なのかもしれません。
鳥羽理事長 そういう経験を通して、若いうちから何かを見つけられたのでしょうか。
野口さん そうやって歌っている中で、聴いてくださった方から「元気が出ました」「勇気づけられました」という手紙をいただくことがありました。それで、もしかしたら歌の力で病気を治せるかもしれない、と感じました。僕も、例えばビートルズとか好きな音楽を聴くと、体調が良くなります。自分の歌で人を治せるかもしれないという思いが、体の中にふつふつと湧き上がってきました。
鳥羽理事長 音楽といっても、歌詞がある歌と、歌詞がない楽器では、何か違いがありますか。聴いた人が持ち帰るものが違ってくるのでしょうか。
野口さん 実に面白い質問だと思います。歌には、歌詞という言葉があります。その言葉を直接、聴く人に伝えます。楽器というものは無機質なので、そこに一度、自分の思いを入れて、その思いを音に乗せて伝える。そういうクッションがあります。
鳥羽理事長 ありがとうございます この前、コンサートに行って、すごく感激したことがあります。コンピューターを使ったデジタルの音というのは 一つの音のピークが鋭すぎると感じますが、 野口さんの歌、そして他の楽器の音は、ある音がメインに聞こえるけれども、実は多くの和音や、オクターブつまり周波数の違う音が混ざっているとわかったことです。
野口さん その通りです。自然界にはいろいろな音が鳴っていて、それは永遠に無限に鳴り続いています。楽器の話にすると、ピアノでペダルを開放にしてドの音を押すと、ドをみんな聴くのですが、そのオクターブ上のド、下のド、5度違うソ、そしてミ、ラと、自然界の中では実に順序よくこれらが響くようになっています。楽器で音を奏でる時もそうです。ところが、デジタル音では、ドを押せばドしか鳴りません。
思いとか感情をどこに乗せるかというと、ドを弾いた時、他に聞こえる残響、アンビエンス(音が取り巻く感じ。臨場感)や、倍音(基音の振動数に対して整数倍の振動数をもつ上音。弦楽器、管楽器で音を出すと必ず聞こえる)とかに乗せるのです。ですから、今のデジタル音では思いを乗せることができない。シンセサイザーを弾きながら、 テクニックで(聴衆を)呼ぼうとしているミュージシャンはいても、そこに思いを乗せようとする人はいないと思います。
鳥羽理事長 本当に、今のお話通りの音を感じて、感激いたしました。もう一つ、教えてください。この前のコンサートでも、後ろでNHK交響楽団や野口さんのバンドの方がいろいろな音を出されていましたけれど、歌手の方には、それらの音が混ざって聞こえてくるのでしょうか。それとも、誰がどのような音を出しているか、一つひとつわかって聞こえているのでしょうか。
野口さん 僕以外の人は知りませんが、僕には一つひとつ、全部の音が聞こえています。
音の持つ力、可能性を研究
鳥羽理事長 それは天賦の才というか、我々には信じられない事です。さて、野口さんは、音響は医学の面でも効果があるのではないかという研究に携わっていて、科学者の顔もお持ちだと聞いています。1月に急逝された医薬品流通業の最大手、メディパルホールディングス名誉会長・熊倉貞武さんの支援も受けていたそうですね。
野口さん 熊倉名誉会長ご自身も、70歳代のメンバーによるバンドを持たれていて、東日本大震災の被災地などを回って、音楽の持つ力を感じられていたそうです。ゴルフをご一緒させていただいた時などに、僕が音楽の持つ医学的な力について話すと、いつも熱心に聞いていただきました。
鳥羽理事長 具体的には、いつごろから活動、研究を始められたのですか。また、秋田大学教授の大田秀隆先生とは、どういう関わりから、知り合われたのでしょうか。
野口さん 26年前に出版した「芸能人はなぜ老けない」という本の中に、「音楽の力で病気を治せるはずだ」ということを書いています。蓄音機を発明したエジソン以降、音は聴くものとして存在しています。科学の進歩にとって、聴くものに転移する方が都合が良かったのでしょう。時代の流れの中で、音は動くようになり(ステレオ)、体感できるようになり(重低音)、立体化するようになり(サラウンド)ました。
ところが、若者たちは、イヤホンでエンコードされたスカスカの音を聴いています。これが音を転移化したひずみのような気がします。世の中の音がどんどんデジタル化されていって、音楽も情報化されています。エンコードされることで、感情や思いがないスカスカのものが作られていきます。音楽は芸術であるはずですが、情報としては残っていくけれども、このままでは芸術としては残らないのではと思いました。
約20万年前にホモ・サピエンスが誕生して以来、自然の中の音、アンビエンスとか倍音とかを聞いてきたのに、このようなスカスカの音を聞いて、普通の人間が平常心でいられるのか疑問に思っています。何十万年たって、初めて聞く音ですので、ストレスがたまらないわけはないと考えたわけです。
そういう考えを熊倉名誉会長にさせていただいたところ、総合医療情報誌のメディカルクオールに掲載させて頂ける話が出てきました。メディカルクオール誌主宰者である岩田明達氏とお会いすることになりましたが、その席に秋田県医師会長で日本医師会常任理事だった小玉弘之先生がおられて、「秋田にお出でよ」と言われたのが、秋田大学の大田先生はじめ皆様とつながるきっかけになりました。
鳥羽理事長 大田教授は、音の持つ生物学的な、生理学的な新しい力について、物忘れに関連した様々な研究をされて、英語の論文を出されています。
野口さん 僕も、長い間、音楽に関わってきた中で、音楽にはその人にとってのパーソナル(個人の特性やニーズ、好み)があると考えています。たとえCDや配信の音楽であったとしても、例えば虫眼鏡の焦点のようにそこを揺らせば全体が揺れ、音楽が持つ豊かさが残るのではないかと思うようになりました。これがDMV(深層振動)を見つける第一歩になった気がします。
その考えを情報系の先生が調べたところ、確かにデジタルやエンコードした音楽に特殊な非可聴をプラスすることで、豊かなものになったそうです。
もう一つ、関わってきたのは、大田先生が研究されている音の持つ力の分野です。認知症やMCI(軽度認知障害)に対し、音がどう作用するか。日本は、超高齢化社会という難問を抱えているわけですが、この研究は認知症の臨床検査でも大きな成果を出し始めていて、大変な朗報になる可能性があります。
鳥羽理事長 ありがとうございます。音の持つ新しい力や可能性について、今、お話しなさった方々がパイオニア的なことをされてきたのですが、ごく最近、音のボリュームその他によって、認知症のもとになるものも含むタンパク質の合成とか、細胞の断片化を防ぐのではないか、といった研究が急速に発展しはじめています。これから、まだまだ広がる研究領域で、来年の日本老年学会には、大田先生や野口さんにも来ていただこうと考えています。
これまでは、お年寄りに知っている歌を聴かせると、懐かしがって、心が揺さぶられる効果があるくらいにしか思っていませんでした。そういう面もありますが、より生物学的な意味を含めて、音のアコースティックエナジーというふうに海外では言っているのですが、新しいサイエンスが始まろうとしています。ぜひ、お力を貸していただければと思います。
では、ゴルフの話をおききします。野口さんは、アプローチもパットも、もじもじしないで決断が早い。この人は、決断力がすごいなと見ていました。何歳からゴルフを始められたのですか。
野口さん 始めたのは21,22歳くらいの時で、26歳くらいでシングルになりました。
鳥羽理事長 すごいですね。セントアンドリュースでも70台で回られたと聞いたことがあります。
野口さん それは34歳の時です。
鳥羽理事長 ティーチングプロの資格も取ったとお聞きしています。何歳ころのことですか。
野口さん 30歳代のころです。のめり込むタイプなので、どこまで行けるかなと思って、挑戦しました。実は、ゴルフを始めたころ、ビッグスギ(杉本英世プロ)さんに「プロになれば」と勧められました。その気になって、一瞬、プロゴルファーになろうかと考えたこともありました。でも、僕は歌い手なので、ちゃんと歌を歌わなければいけないと思い直しました。ただ、ティーチングプロという資格もあるなと思って、挑戦しました。
鳥羽理事長 一番少ないハンディは、いくつでしたか。
野口さん 5です。
鳥羽理事長 得意なクラブは何ですか。
野口さん 本当はアプローチが得意なのですが。今日は色々なクラブを持って回りました。新しいアイアンで、ドライバーも先週、初めて使ったものです。
鳥羽理事長 ドライバーのシャフト硬度をXからSRに替えたのは、なぜですか。打った球を見ると、ダブルXの方がいいのではないかと思えるほどでした。
野口さん クラブを調整してもらう技術者の方からも、「前とあまりに違うから、やめたほうがいい」と言われたのですが、「シンプルにして欲しい」とお願いしました。でも、今日、使ったら、球の高さなどがあまりに違い、どう打ったらいいのかわからなくなってしまいました。(笑)
ゴルフは、なくてはならないもの
鳥羽理事長 バンカーなどは本当にお上手ですね。私なんかは、相変わらずボコッ、ボコッて、打っていましたが。(笑)
本当は今日、熊倉名誉会長と一緒に回る予定だったのですが、1月に亡くなられてしまって、本当に残念でした。今回、野口さんと一緒に回れて、熊倉名誉会長にもいいご報告ができると思います。
ゴルフが健康にいいとお感じになることはありますか。
野口さん ゴルフは心の栄養ですね。景色とか空気もそうですが、絶対に心の栄養になっています。
元々、21、22歳くらいでゴルフを始めたころ、僕はずっと楽器ばかりいじっていて、本当にオタクでした。今も、妻からスタジオに閉じこもってばかりいると心配されています。ですから、外で活動するゴルフは、なくてはならないものになっています。
また、今日、ゴルフをすることで、鳥羽先生から、アメリカで行われている音楽とたんぱく質の研究の話とか聞けたではないですか。そういうお話を聞けただけでも、ものすごくゴルフをするモチベーションが上がります。
鳥羽理事長 かなり高レベルの医学誌に載ったレビューなので、何万人という医者が読んでいると思います。
今日、話をお聞きして、ゴルフにしても音楽にしても、音の持つ力にしても、野口五郎さんが芸術家としての感性と直感から得た最初のヒントが、これらの真実につながっている。さらに、音楽、歌手、さらにそれ以外のアクティビティに生かされているということを、大変うれしく思いました。
今後とも、ゴルフと健康について、ご助力いただければありがたいと思っています。長時間、ありがとうございました。
野口さん 僕も、鳥羽先生のお話が聞けて、本当にうれしかったです。これでまた、今日からゴルフに打ち込めると思います。
取材/文・髙岡和弘(情報シェアリング部会・委員)