People『第4回 ないものを嘆くより、あるものに感謝したい』:小山田雅人プロインタビュー

幼いころの事故で右手首を失った小山田雅人プロ。努力と工夫でハンディを乗り越え、さらに命にかかわる脳腫瘍などの病気にも打ち勝っていった不屈の生き方は、障害を持つ人だけでなく、一般の人にも多くの教えを示している。小山田プロに、これまでの歩みと今後に向けた思いを聞いた。

――ゴルフとの出会いを教えてください。

小山田プロ 2歳の時、機械にはさまれて右手首から先を失いました。でも、その記憶がありませんから、生まれた時から無いと思っていました。「障害者」という意識はまったくありませんでした。友達と遊びまわり、野球をし、サッカーをしました。ゴルフも、小学5、6年生の時、父や兄のクラブやボールを借り、やや高い位置にある田んぼをグリーンに見立てて周囲の田んぼの9か所から狙う遊びをしたり、近所の人の庭に空き缶を埋めてパットをしたりしました。
サッカーでは、私たちの小学校チームはものすごく強くて、県代表として国体に出場したほどでした。セルジオ越後さんの指導を受けたこともあります。
野球でも、4番を打っていましたが、ある時、バットで素振りをしていたら、近所の人から「あの子、手がないのに野球をして、かわいそうに」と言われたことがありました。それが悔しくて、中学校では野球部に入り、エースピッチャーとして県大会の決勝まで勝ち進みました。片手ですので、メディアからも注目されましたが、負けると「メディアが来たせいだ」という父兄の方もいました。

それで、1人でもできるスポーツで、健常者にも勝てるもの、ということでゴルフを選ぶことになります。本格的に始めたのは、栃木県職員として社会人になった19歳の時です。ゴルフは、自分とコースとの戦いです。ですから、一緒に回る方も私の障害を気にする人はいません。それが心地よかったですね。

 

 

 

重病後、娘の記憶に残る生き方をとプロを目指す

――ゴルフは、健常者でもうまく打つことが難しいスポーツです。上達するためにどのような工夫をされたのでしょうか。

小山田プロ 練習場に通いましたが、なかなかうまくいきませんでした。当時は、障害者を教えられるプロもいませんし、教本もありません。雑誌などを読みながら、基本から勉強しました。

スタンス、グリップをスクエアにすると、フェースが返しきれないために右にしか飛びません。そこで、左手を野球のバットを握るようにし、フックグリップにしました。捻転を強くするために、オープンスタンスにしています。右手には義手を付けて添えています。ヘッドスピードを上げるため、左手を鍛えましたが、右肩の筋肉も使います。使えるものは何でも使う。右手首がないのは仕方がない。逆に、前腕部までは残ったことを感謝しています。

ゴルフは、その時の実力がハンディキャップという数字で表せるのも魅力です。ハンディ0になるのを目標にして達成しましたが、いくつかの倶楽部で計7回、倶楽部チャンピオンになることもできました。

――プロを目指したきっかけを教えてください。

小山田プロ 次の目標を考えている時に脳腫瘍になりました。かなり難しい個所の腫瘍でした。病気の時は病気に集中して向き合おうと、この時、いったんクラブをすべて処分しました。腫瘍は取り切れませんでしたが、命の危機は脱しました。結婚して娘が生まれ、その子が2歳になった時、「生きている間にできることは何か。娘の記憶に残る生き方は何か」と考え、障害者として現在のプロテストに初めて合格しプロゴルファーになることを目標にしました。2012年の時です。25年勤めた仕事も辞めました。クラブを処分した時と同じく、背水の陣ですね。

周囲の人の応援もあって、12年に実技試験、13年には教科試験に合格し、14年1月1日付けでティーチングプロB級になることができました。ただ、その2日後、今度は心筋梗塞で倒れました。運ばれた病院に心臓専門医がいて命は助かりました。脳梗塞で倒れたこともあります。

病気をして学んだのは、「下を向いていたら、何も進まない。上を向き、笑顔でいよう」ということです。今、こうしていられることに感謝するのが、私のスタンスです。

ゴルフをパラリンピック実施競技に

――障害者ゴルフの部門別世界選手権で、2014、16年に優勝しています。今、考えられている目標はありますか。

小山田プロ 個人的には、もっと飛距離を伸ばしたい。年齢とともに飛ばなくなったので、食事管理を含めてトレーニングに励んでいます。そして、障害者大会ではなく、プロのシニアツアーに出場したい。一度、出られるという話がありましたが、コロナで大会が中止になってしまいました。ティーチングプロA級資格にも挑戦中です。

中長期的には、パラリンピックにゴルフが採用されるよう、尽力したいと思っています。これが一番の目標です。

――講演やSNSでの発信を通じて、障害者ゴルフを多くの人に知ってもらう活動にも励んでおられます。

小山田プロ 努力すればプロにだってなれる。活躍できる。障害のある方々に向け、身をもって示したいと思っています。障害のあるお子さんを持つ親御さんから、「うちの子供でもゴルフができますか」という相談を受けることがありますが、ゴルフだけではなく、野球、水泳、陸上など様々なスポーツに挑戦して欲しいですね。色紙を頼まれた時、私が書く言葉があります。「ないものを嘆くより、あるものに感謝したい」。どうすればうまくできるか。努力し、工夫すれば、できないことも必ずできるようになります。

小山田 雅人(こやまだ・まさと) 1967年5月24日生まれ。栃木県那須町出身。日本プロゴルフ協会の試験に合格し、2014年、ティーチングプロB級の資格を獲得。世界や国内で行われた様々な障害者ゴルフ大会で優勝。普段は、一般アマチュアへのレッスンや講演活動を行っている。日本障害者ゴルフ協会理事、ジャパン・ハンディキャップゴルフ協会理事。

 

取材/文・髙岡和弘(情報シェアリング部会委員)

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