悪性リンパ腫、S字結腸破裂を乗り越えて、日本シニアオープンへの復帰出場を果たしたプロゴルファー:喜多翔一プロ

悪性リンパ腫、S字結腸破裂を乗り越えて、日本シニアオープンへの復帰出場を果たしたプロゴルファー
闘病とリハビリ、そして家族や支援者への感謝、ゴルフへの思い

島ヶ原カントリークラブ(三重県)所属のプロゴルファー、喜多翔一さん(55)は、2024年3月に血液ガンの悪性リンパ腫ステージ4と診断されて入院、6月には、S字結腸破裂も発症したが、闘病生活と懸命のリハビリを続けてゴルフに復帰。2025年日本シニアオープン(9月18日―21日・相模原GC)に2年ぶり3度目の出場を果たし、人工肛門(ストーマ)をつけて4日間72ホールをプレー、通算3オーバー37位タイの成績を残しました。

悪性リンパ腫ステージ4、結腸破裂を乗り越えて復帰を果たした喜多プロに、病気との闘い、リハビリ、支えてくれた家族や所属クラブ関係者、後輩や仲間への感謝、ゴルフへの思いを語っていただきました。

――悪性リンパ腫が見つかったのは突然だったのですか。

そうです、突然でした。去年の3月、日曜日のゴルフで脇腹や関節の痛みを強く感じて残り3ホールでやめて、「骨折かな」と思って月曜日に病院に行きました。そしたら、血液検査やさまざまな検査をして、「大きな病院にいきましょう」ということになって、大阪国際がんセンターへ。そしたら、悪性リンパ腫と診断された。「きのうまでゴルフしてたのに」、突然変わった。それもステージ4で生存率50%やて。「こんなことある」って思いましたね。

――その後の治療は。

抗がん剤は最初きつかった。血管に何かものが入って流れているような気がして。髪の毛も爪も全部なくなりましたね。

それでも治療が進んで6月26日に退院予定でしたが、その前日の夜のことです。トイレの前でおなかが猛烈に痛くなって、苦しくなりました。たまたまその日の夜勤の先生が外科の先生で、「CT撮ろう」となって、「腸が破裂してる。すぐ手術しよう」と言われました。抗がん剤の副作用でS字結腸が破裂してた。僕は怖くて、家族と相談させてください、と言ったけど先生は「1分1秒も待てない」。そのままICU(集中治療室)に入って4日間、そのあとHCU(高度治療室)に4日間。ずっと寝たままでした。その時お腹にストーマが付いたんです。

――また、闘病とリハビリが続くことに。

そうですね。最初はまず座ること。次は立つことから始まりました。そして歩くこと。ただその1歩がなかなかできない。歯磨きに行く1歩半が難しい。それでも、リハビリの先生には、「自分はプロゴルファーなので何としてもゴルフに戻りたい」と言っていました。歩けるようになってからは、とにかく病院内を歩いていました。テレビで見たようなリハビリはすべてやりました。かなり強引にやってた。「プロゴルファーに戻りたい」という一心でしたね。

――退院できたのは。

嫁はんには「2度死んだかと思った」と言われてました。それが9月はじめには退院することができて、10月はじめには「寛解」となりました。11月には島ヶ原カントリークラブ(三重県)に戻りました。ゴルフ場のスタッフ、メンバーさん、みんな心配してくれてました。

――日本シニアオープン復帰までの道のりは。

うちの会社は、「11月に戻りますと」というと、従業員トイレにストーマの人に対応したトイレを設置してくれました。本当にうれしかった。

早くゴルフをしたくて、クラブを持ち始めたんですが、最初は5ヤードくらいのチップショットが精いっぱいの状態。それからが大変やった。それでも、ゴルフに戻りたい一心でリハビリを続けました。

ようやくクラブが振れるようになっても、思うようにできない。そんな状態なので、今年は競技に出るつもりはなかったんです。そしたら、三重県オープン(5月29日―30日、近鉄賢島CC)というのがあって、うちの支配人が「話題になるから出てみたら」と勧めてくれた。これが競技への復帰戦。何と初日に68(パー72)が出たんですよ。「ドライバーは200ヤードくらいしか飛んでなかったけど、こんな状態でもゴルフできるんや」と思いましたね。その後は鳴尾ゴルフ倶楽部(兵庫県)での地区予選をへて、8月25日に大山ゴルフクラブ(鳥取県)で行われた最終予選を突破して、本選(日本シニアオープン)に出場できることになったんです。

――どんなお気持ちでしたか。

もう感謝しかありません。お医者さん、家族、ゴルフ場のみんな。後輩や先輩や仲間。みんなの励ましがあったからこそ、いまの僕があります。

――ゴルフはいつから始められたのですか。

15歳からです。中学時代は陸上競技やってて、円盤投げで県2位、近畿6位になったことがあります。PL学園、日大とゴルフで鍛えられました。あのころの厳しさを経験していたから、病気のときも「寝てたらええんやろ」という感じで耐えられたと思ってます。

アマチュアでは日本ジュニアの2位、関西ジュニアの2位、全日本日刊アマは優勝もしました。   研修生2年やって、オーストラリアツアー、アジアツアーを7年間回って、31歳のときに日本に戻りました。

競技に出ることで恩返しを

――プロゴルファーとしての今後は。

僕にはゴルフしかないので、ゴルフすること、競技に出ることで少しでも恩返しできればと思ってます。同じような病気になって治療を続けている人、ストーマ(人口肛門)をつけている人たち。みんなの少しでも励みになるようなことができればうれしいです。

僕、最初はストーマのことが恥ずかしくて言えなかったんです。三重県オープンのときには言えなかった。毎日痛むところをさすってくれて、世話してくれた嫁はんに「ストーマのこともちゃんと言うてきなさい」と言われました。最近では、大きなスーパーなどには、ストーマ対応トイレのあるところが増えてきていますよね。同伴競技の人にもスタート前に伝えています。

――悪性リンパ種の発見から1年半で、日本シニアオープンに復帰。ここまでのことを振りかえって感じていることは。

死ぬかもしれん、という経験をしました。病院から外の景色を見ることしかできなかった期間もありました。それでも、今はゴルフができています。苦しいこと、痛いということはあっても、「そう感じることができるのも幸せなんや」と思ってます。

僕がゴルフをすることで、つらい思いをしている人たちにとって少しでも励みになることができればと、強く思っています。

 

(取材・文:情報シェアリング部会委員 古谷隆昭)

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