脳梗塞から奇跡のツアー復帰果たす「ゴルフがすごくいい方向に変わった」:竹山昂成プロ

ジュニア時代から将来を嘱望されてきた竹山昂成プロ(26)が病魔に襲われたのは、2024年12月29日のことだった。兵庫県のゴルフ場で突然に体が動かなくなり、救急搬送されて緊急手術。脳梗塞と椎骨動脈乖離(ついこつどうみゃくかいり)により、右半身が麻痺して動かなくなった。しかし、そこから奇跡の復活を果たし、約4カ月後の男子プロツアー開幕戦・東建ホームメイトカップに出場。初日に5アンダー、66をマークして周囲を驚かせ、その後もツアー出場を続けている。絶望の淵からよみがえった竹山プロに、病気との格闘、ゴルフや人生観の変化などを聞いた。

ラウンド練習のスタート前に体が動かなくなる「10分遅れていたら死んでいたと言われた」

――竹山プロが倒れた時は、まだ25歳。その時の状況を教えていただけますか。

竹山昂成プロ ラウンド練習でスタート前にストレッチをしていた時に右目が見えなくなって、下半身に力が入らなくなりました。それまで前兆はなかったのですが、倒れる前の写真を見ると顔がむくんでいて、後から考えると手足のむくみなどもあったので、それがサインだったのではと思います。

――その時に一緒だった同じ関西出身の中西直人プロ(37)らが適切な処置をしてくれて、救急搬送されて緊急手術。

竹山プロ 脳の血管が詰まって膨張していて、そこに首のストレッチなど刺激を与えたことで血管が裂けて動脈乖離を起こしている状態でした。あと10分遅れていたら死んでいたかもしれないと言われました。それが神経などにも影響して麻痺も残り、目が覚めた時は右半身が全く動きませんでした。医師からも、ゴルフはもうできないかもしれないと言われました。

――そこから奇跡の回復。

竹山プロ 脳の集中治療室で血流がよくなるケアなどをしてもらっていたら、2日後に指先が動き、徐々に右半身の感覚が戻ってきました。1週間くらいして立つことができた時は、アルプスの少女ハイジのクララになったような感覚でした。ただ、それから約3週間後の退院直前に、再び血管が裂けている箇所が見つかって、ステントを入れて乖離している箇所をふさぐ手術を全身麻酔で受けました。血圧や心拍数が上がると動脈瘤ができて、くも膜下出血につながるという危険な状態が続いたので、リハビリもできず寝たきりの状態でした。

――ボールを打ち始めたのは、いつごろですか。

竹山プロ 腰から腰までのスイングができるようになったのは2月末くらいです。2月に入るまで入院していたので、最初はゴルフができるのかというくらいに力が入りませんでした。3月中旬にはラウンド練習もできるようになったのですが、その時は80ちょっと叩いてしまい、ステントの挿入部分だった右手首にも違和感が残ってゴルフになりませんでした。でも、それから2週間はほぼ毎日ラウンドしました。血圧や心拍数が上がることが怖かったので、練習場でボールを数多く打つことは避けて、ラウンドで芝生に慣れるようにしていました。

左、中西直人プロ。

4カ月後のツアー開幕戦で復帰し初日6バーディー、1ボギー「無理をしない判断力が身についていたのかも」

――そのような状態でツアー開幕戦の東建ホームメイトカップに出場。4月10日の初日に6バーディー、1ボギーで、4位タイの好発進でした。

竹山プロ はい、その時には感覚も戻っていて、自分はゴルフがうまいと勘違いしてしまうくらいにショットもパットもうまくいきました。今思えば、病気をして怖いものがなくなったというのも良かったのかもしれません。だからといって攻めていたわけでもなく、無理をしない判断力が身についていたのかも。キャディーを務めてくれた中西プロのアドバイスもよくて、ピンチがほとんどありませんでした。

――開幕戦は最終的に37位タイでしたが、次戦の前澤杯MAEZAWA CUPも初日は6バーディー、ノーボギーで6位タイ発進(最終41位タイ)。その後も出場3試合連続で予選を通過しました。

竹山プロ ただ、いずれも大会の後半はスコアを伸ばせませんでした。やはり病院でずっと寝ていたので、体力不足を痛感しました。7月にステントを入れた血管の傷がふさがっているか確認する手術を再び受けたのですが、それまでは激しい有酸素運動を禁止されていて、体に力を入れない範囲での運動に限られていたので、体力を戻すことがなかなかできませんでした。そのぶん体を動かし続けることにして、球を打つ体力をつけるために練習場で片手打ちを繰り返すなど、小さい動きを何時間も繰り返していました。ただ、今まであまりできなかった基礎練習を増やすことができて、その面ではいい方向に向かったのではと思います。今は血管にも問題がなくなったので、いつもの練習ができるようになっています。

――竹山プロは子供の時から、トップクラスでプレーをしてきました。今回、このような試練を経て、ゴルフに対する考えが変わりましたか。

竹山プロ すごくいい方向に変わっていて、「この練習は今日のうちにやった方がいいけど、体が疲れているから明日にしよう」などと思うことがなくなりました。「今日、人生が終わってしまうかもしれない」と考えるようになり、やりたいことはすぐに行動に移して、試合に向けていい準備ができています。人生観が変わって、できることを毎日少しずつこなすようになり、コツコツとはこういうことだと分かるようになりました。食事も、以前は試合前日でも焼き肉やラーメンなど好きなものを食べていましたが、今は血圧を上げないように考えています。野菜なども多めにしたおかげで、試合当日の体調も良くなったように思います。命が助かった時点からポジティブなことしか考えないようにもなり、貴重な経験ですよね。

米PGAツアー参戦を目指して「ゴルフのおかげで自分がやりたい目標を見つけられている」

――ゴルフを続けてきたことは、良かったと思いますか。

竹山プロ ゴルフのおかげで、自分がやりたい目標を見つけられていますからね。何事においても目標を持つことは大切だと思っていて、そこに向かって日々、何をすべきかを考えて生きることがすごく好きなんです。

――今後の人生設計図を教えてください。

竹山プロ 病気をする前から変わっていなくて、日本のツアーで活躍することはもちろんですが、海外志向も強いので、米PGAツアーでもプレーしたいです。せっかくゴルフというスポーツをやっているのだから、いつかは松山英樹さんを抜くくらいの気持ちでやっていきたい。そのためには、これから起きることはすべてポジティブにとらえ、体を大切にしながら、行けるところまで行ってやろうという思いはあります。もう失うものはないし、気持ちはすごく強くなったと思います。

――最後に、竹山プロが思うゴルフというスポーツの素晴らしさを。

竹山プロ 激しく体を動かすスポーツではないので、高齢になってランニングなどがきつくなってもできるし、性別や年齢を問わず楽しめるスポーツだと思います。もちろん、病気をした後のリハビリにも役立ちますし、自分のペースで、自分が思ったように体を動かして球を打つことができる、素晴らしいスポーツですよね。

🔷竹山昂成(たけやま・こうせい) 1999年4月2日生まれの26歳。兵庫県尼崎市出身。小学生の時から全国大会で上位に入るなど活躍し、東北福祉大では4年時の2021年に関西オープンで16位に入ってローアマチュアを獲得。同年12月にプロに転向し、24年の日本プロ選手権では4日間ともスコア60台をマークして6位タイ。181㌢、84キロ。姉はプロゴルファ―の竹山佳林。

 

取材・文/情報シェアリング部会委員 鈴木遍理

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