ゴルフを愛し言葉でつなぐ:ゴルフジャーナリスト舩越園子さんインタビュー

インターネットやYouTube、衛星放送などを通じ手軽に海外ゴルフのニュースに触れられる今と違って、30年以上前となると新聞や雑誌、テレビなど、情報を入手する手段は限られていた。男女雇用機会均等法が施行されて5年余りで、スポーツ記者も男性が大半。そんな時代に、舩越園子さんは徒手空拳で渡米、ゴルフジャーナリストとしての道を切り開いてきた。

――ネットや雑誌、新聞など各メディアでコラムを連載するなど大活躍ですが、そもそものゴルフとの出合いは?

「大学時代、ファッション誌で素敵なゴルフウエアを着て、小脇に小さなゴルフバッグを抱えた女性を見て『かっこいいな』と思ったのがきっかけです。私はミーハーだったから。早稲田大学2年の頃に、女友達と大学のサークルに入りました。雑誌から引き写しの格好で電車に乗ったり、芝公園の練習場にみんなで行ったり、初心者の私たちに、上級生が親切に教えてくれました。コースデビューは伊豆大島での夏合宿。大島GCで9ホールのコースを1日4回回りました。バッグを抱え『走れ、走れ』でショット。泥だらけになって、本州から来たお客さんに『どこの土方クラブだ?』って笑われました。そして、3年の途中に肋骨を骨折してサークルはやめました。」

――ゴルフジャーナリストになるまでには、いろんなご苦労、紆余曲折があったようですね。

「文章を書くことが好きだったので、新聞社志望だったのですが、あまりにのんびり構えすぎて入社試験に失敗。先に内定を頂いていた百貨店に入りました。でも、それほど興味があった業種でもなく、居心地が悪く感じて半年で退社しました。広告代理店で化粧品メーカーのPR誌制作などに携わったりした後、思い切ってフリーライターに。時計・宝飾品の業界誌などいろんなジャンルの仕事をしているうちにゴルフ雑誌を紹介され記事を書くようになりました。取材現場に若い女性はほぼ皆無で大半は熟年男性。毎日、誰かに食事に連れて行ってもらったりして楽しかったのですが、私の記事の掲載が増えるにつれて、年上の男性ライターたちからは「この道何年の俺たちを差し置いて生意気」と嫌がらせを受けるようになり、彼らと同じ土俵で戦っても「この道何年」の年数差は埋まらないので、思い切って米国に行こうと思いました。」

「渡米するには英語力を上げないと、と思い1年ほど毎週、英会話学校に通いました。1993年に留学の形でジョージア州立大に進みましたが、その前に現地の英語学校で必死に勉強しました。大学ではジャーナリズムを専攻。ただ扱いは一年生だし、数学など必修科目が多すぎて、学び直すことに疑問を感じ前・後期の1年間で辞めました。しばらく貯金を取り崩して生活していたものの、それでは先が続かない。日本の雑誌に「何か書かせてください」と売り込むとともに、PGAツアーの本部に「取材がしたい」と電話、日本で書いたゴルフ雑誌の記事をコピーして郵送し、何とかメディアパスをもらいました。最初はアトランタの家の近くで行われていたミニツアーの記事などを書いたりしました。そうこうしていると、日本のゴルフ雑誌から「マスターズ取材に行かないか?」と声をかけてもらい、パスをもらって95年のマスターズを初めて取材することになりました。ちょうど天才アマと騒がれていたタイガー・ウッズが初出場した年で、以後はタイガーの記事のリクエストが相次ぎ、丸山茂樹や松山英樹選手も活躍するなど、ラッキーに恵まれました。それがなければ1、2年で帰国していたかもしれません。当初は小林浩美さん、平瀬真由美さん、福嶋晃子さんらが出場する米女子ツアーにもたびたび取材に行っていました。」

「アトランタに4年、フロリダ・オーランドに8年、ニューヨークに4、5年、そしてロサンゼルスに住みましたが、2018年いっぱいで米国暮らしに区切りをつけ、帰国しました。『四半世紀も米国にいるんだね』と周りに言われ、大人になってから日本の生活を味わっていないなと改めて思いました。日本で1人で暮らしていた母のことも心配でしたし、コロナ前に撤退してよかったと思っています。」

――ここ数年、米女子ツアーでは日本勢のメジャー優勝が相次いでいます。彼女たちの大活躍や国内女子ツアーの隆盛についてどう感じていますか?

「樋口久子さん、岡本綾子さんらさきがけもいますが、私は小林浩美さん・日本女子プロゴルフ協会の功績が大きいと思います。自らの経験を踏まえ、下部(のステップアップ)ツアーの充実や4日間大会を増やして地道に選手強化、それが今実ってきたと感じます。宮里藍ちゃんブームのあと、渋野日向子さんの19年のAIG全英女子オープン制覇も大きかった。あれがきっかけで次々と海外メジャーチャンピオンが誕生しています。」

――女性にとって、ゴルフの魅力は何だと思いますか。女性がゴルフをするうえで、壁を感じる点はありますか?

「仕事をしている女性にはネットワークづくり、知り合いが増えるというメリットがあるかと。違う業界、職種の人と接すると、気づきや勉強にもなり、ゴルフを楽しみながら異業種交流できる良さがあると思います。一気にとはいきませんが、昔に比べると男女の垣根もずいぶん低くなってきました。私自身、2年前に飯能GC(1960年正式開場、埼玉県)に入会しましたが、思ったほど男性優位とか感じません。新参者なのに、ゴルフ雑誌と飯能GCのコラボ企画を通してもらったり。一人で朝コースに行って、知らないメンバーの方と回ることもできます。ネットワークが広がりますよね。」

――女性が気軽にゴルフを楽しむためには、ゴルフ業界などは何をすればいいでしょうか?

「ゴルフの楽しみ方、ゴルフ場のあり方にバリエーションがもっと増えたらいいなと思います。『おひとり様参加』もそうだし、服装ももっとカジュアルにしてもいいかと思っています。もちろん、ドレスコードがきっちりした伝統的なスタイルも大事で、個人的には好きですが、女性や若者に間口を広げるには、コースの敷居を下げたほうがいいかなと思います。飛行機でもファースト・ビジネスクラスもあれば、LCC(格安航空会社)もあります。サービスを簡略化したリーズナブルなゴルフ場がもっとあってもいいような。運営側にしても、トップら経営陣に女性をもっと起用し、『女性が来やすいゴルフ場』を増やしたらどうでしょうか。ゴルフ畑以外の人が運営に携わってもいいかと。違ったアングル、着眼点から、経営改善やゴルフ活性化へ面白い発想が生まれるのではないでしょうか。」

――ご自身が感じるゴルフの魅力、楽しさは何ですか。米国でのゴルフライフとの違いは?

「アトランタに住み始めてすぐ、ゴルフの腕前を上げるためにクラブに入会しました。600ドルほどで、1年間回れました。クラブ内にはレディースゴルフアソシエーションもあって、女性メンバーだけで過ごせる部屋も。みんなでランチしたり、月例会も開催されるなど、ゴルフ環境は日本に比べ格段に良かった。庶民のスポーツとして、気軽に女性もプレー出来ました。」

「飯能GCには高校の後輩の男子が先に入会していて、ラウンドに呼んでもらい、一目惚れして入会。自宅から近く、車を運転しなくなっても、電車ですぐなので、アクセスが良くて便利です。今は高校の同窓生が5人います。仲間がいると、会社や仕事関係だけではなく、ゴルフを媒介にしていろんな人と仲良くなれます。飯能には94歳でしゃきっと歩きゴルフをしている方もいますし、年を重ねてもプレーできる、生涯スポーツであることが最大の魅力ですね。ラウンドは月に2、3回で、好きなクラブはドライバーです。しばらくプレーしてなくても真っすぐ飛ぶんですよ。日頃、原稿執筆で座ってばかりなので、足腰が弱くならないように、ウオーキングを日課にして、毎晩ストレッチもします。上手になりたいので、ホームコースでラウンドレッスンも受けています。」

 

舩越園子
東京都出身。早稲田大学政経学部卒業後、百貨店、広告代理店勤務などを経てゴルフジャーナリストに。埼玉・武蔵丘短大客員教授。
日本ゴルフトーナメント振興協会(GTPA)理事。

構成・吉良幸雄(情報シェアリング部会委員)

 

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